2010年6月20日日曜日

映画『Man on Wire』

マン・オン・ワイヤー

監督 : James Marsh
出演 : Philippe Petit音楽 : J. Ralph (title theme)
  Michael Nyman

2008 / United Kingdom
時間90分













とても素晴らしい映画だった。

映画を見始める前は、
綱渡り師というものがどういったものなのか、
何をするのか、
ましてや、今はなきNYのワールドトレードセンターで、
どうして綱渡りをするのか、

全くすべて、何も分からなかった。

 
しかし、この映画を見進めていくと、
どうして、フィリップ・プティがこれをしなければいけなかったのか
分かった。

単なるやらせでもなんでもなく
「彼自身の気がすまなかった」ということ。

彼は、どうしてこんなことをしたのかと質問されたとき、
「理由はないさ」
と答えていたが、
そう、単に、理由はないけど、
彼がそうしないともうどうしようもないっていう
状況に追い込まれていたことだけが事実としてあって
そのためには、死も覚悟していたし、
むしろ、たとえ死んでも
それは、光栄な死に方だとさえ言っている。


ワールドトレードセンターでの「一日かぎりのパフォーマンス」となった綱渡りであるが、
映画では、それが実行されるまで長い年月、
フランスからNYへ行き、
全ての不可能ををねじ伏せようと
無理矢理にでも、作戦を実行していく姿
どんな危険をも顧みず、突っ込んで行く姿勢
仲間との決別、妙な理解者の出現
など
成功までのキセキが収められている。


中でも、感動したのは、 この男の気違いさと
それを真面目にやってのける理解者たち。

はっきり言って、成功しなかったら、
なんのお話にもならなかったであろう
いわゆる「キチガイ的発想」を
全員が真面目にやっている。


そして、ついに成功を収めた時には、
それは、本当に感動的なパフォーマンスで、
「やめときなよ、そんなこと」
なんて
だれも言わなくなってしまうような力がある。


綱渡りそのものももちろん見所としてあげられるが、
もっと、注目すべきは、
途中の沢山の出来事 が皆の人生に共通するような点を持っていること。


例えば、本当にワールドトレードセンターでの綱渡りを始めたとき、
一足踏み出したら「大丈夫、いける」という感覚が来て、
それから、約45分間、8回もその綱を行ったり来たりしたこと。
(途中、寝そべって、カモメと談笑したとは。警官の注意をよそに。)
困難なことに挑戦する時
この感触
味わったことがあるような気がする。

そして、その成功と共に、
彼は有名になり、
仲間、すなわち恋人、幼なじみとは分裂していったこと。

綱を渡った人間だけでなく、
綱を張ったり、沢山の人が、その舞台を作るのを支えていた。
しかも、全員が
「それは面白そうだ!」
という気持ちだけで。

その彼等、協力者も綱をはる相当の腕を持っていたし、
ましてや、捕まるかもしれないという心労も共にしてきた仲間だ。

しかし、この友情関係の意図は、
この成功と共に、一日にして
プツッときれた。

後に、幼なじみの綱を張った友人は、
インタビューで、涙をこらえられずに話をしていた。


大きな成功とともに、
フィリップだけが、別世界にいき、
彼等が取り残されて行く。。。
そして、彼等は、それは
「しょうがないこと」
と受け止めている。

これって、
誰もが経験することだと思う。

もし、あのときこうすれば!
とか
あのときこうしていれば!
ってすごく思うけど、

やっぱり同じ世界に生きているのに、
どうしようもなく違う世界に行ってしまったときの
見えない「ずれ」。

この映画は、ドキュメンタリーだからこそ
そういった生きて行くこと、そこで起こる事を教えてくれる。

それにしても綱渡りのシーンとエリック・サティの音楽のシーンは
時を止めたかのように美しかった。

警官が、ニュースのためにか、事情説明をしているとき、
「(この事件は誠に遺憾だといいながら)こんなパフォーマンスが見れたのはすっごいことなんだ。だって2回として起こらないこと何だから。」
と言っていた。

ここがとても好きだった。

2010年6月10日木曜日

映画『ラフマニノフ ある愛の調べ』

ラフマニノフ ある愛の調べ 


2007年 ロシア

原題 LILACS
時間 96分

監督 パーヴェル・ルンギン

出演  エフゲニー・ツィガノフ     (Sergei)
        ビクトリア・トルガノヴァ  (Natalia)
        ヴィクトリヤ・イサコヴァ  (Anna)
        ミリアム・セホン  (Marianna)
        アレクセイ・コルトネフ     (Steinway)



この映画は、全てが必ずしも、正確なラフマニノフの伝記というわけではないそうだが、
芸術家の苦悩、そして、その人生が垣間見ることができる。

ヴィルトゥオーソ(演奏の格別な技巧や能力によって完成の域に達した、超一流の演奏家を意味する言葉)として、演奏家としての仕事が多い中、作曲への熱意を持ち続けたラフマニノフ。

彼は、沢山の名曲を残しているため、当時、作曲に時間をたっぷり使うことが思うように出来なかったとは、知る余地もなかったが、
あらためて映画を見て、挫折や世間と自分の間の軋轢がある中で、
10年も書けない時期もあったが、作曲をあきらめなかったこと。

これにより、名曲が残されていることにきづいた。

当時、周りから言われる、演奏者として活動を絞ってやりなさいという
アドバイスを振り切ったり、振り切れない
ラフマニノフの葛藤の人生が描かれている。

劇中では、沢山の名曲が使用される。
中でも最後に使われる「パガニーニの主題による狂詩曲」は
感動的だ。

【ラフマニノフ】
ピアノ協奏曲 No.2
前奏曲嬰ハ短調 Op.3 No.2
前奏曲嬰ト短調 Op.32 No.12
交響曲 No.1
幻想小品集 Op.3 No.1
ヴォカリーズ Op.34 No.14
パガニーニの主題による狂詩曲
【スクリャービン】
練習曲 Op.8 No.12
【ショパン】
練習曲 Op.25 No.9


<ヴィルトゥオーソの面白い話>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヴィルトゥオーソは、またしばしば作曲家を兼ねることがある。ヴィルトゥオーソである作曲家には、19世紀のニコロ・パガニーニが典型であるように、第一に演奏家であったタイプと、バロック音楽のバッハが典型であるように、演奏衝動創作衝動に釣り合いがとれたタイプの2つがある。前者は、しばしば作曲においても自らの演奏技巧をひけらかす傾向が認められ、必ずしも作曲家として成功することができたとはいえない。

しかしながらヴィルトゥオーソの華麗な技巧や表現力は、多くの作曲家や、さまざまな楽器の演奏家を触発した。パガニーニの主題による作品は、リスト、シューマン、ブラームス、ラフマニノフ、シマノフスキ、ナタン・ミルシテイン、ルトスワフスキ、ボリス・ブラッヒャーらが手がけており、パガニーニの演奏そのものは、ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンストらの後進演奏家に啓示をもたらした。サラサーテの演奏は、サン=サーンスやブルッフに代表作を残させたほか、ブラームスとチャイコフスキーにも影響を与えている。さらに、シベリウスの協奏曲は、ブラームスとチャイコフスキーの両方に影響を受けているため、間接的にサラサーテの影響を受けたことになる。またパガニーニやリストの演奏技巧は、それぞれヴァイオリンやピアノという楽器の変革を促す大きな要因となった。

ヴィルトゥオーソは伝統的に楽譜を自由に扱う傾向があり、自作を譜面どおりに演奏しないだけでなく、しばしば他人の作品でさえ、書かれていないパッセージを演奏・挿入したり、書かれた音符を任意に飛ばすこともあった。たとえばラフマニノフのいくつかの録音は、その典型例として当時から物議を醸した。ヴィルトゥオーソは、このようにしばしば「解釈の恣意性・独断性」と結びついたため、その反動として、反ロマン主義を標榜した新古典主義音楽の時代に、「楽譜への忠実さ」が求められるようになった。

しかし、新古典主義の作曲家がバロック音楽を美化したにもかかわらず、おおむねバロック音楽の作曲家は、楽譜が自由に扱われることを前提に記譜する習慣をもっていた。バロック音楽から古典派音楽の作曲家は、たいてい何らかの楽器のヴィルトゥオーソであった。例外的に自分の意図を明確に楽譜に固定しようとしたのはバッハぐらいのものであり、ヘンデルの組曲やソナタは、演奏者による再構成がしばしば必要になると言われている。
(抜粋元:wiki
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映画では、幼少期が回想シーンとして出てくるが、そのシーンが個人的には好きで、
全体を通して、原題ともなっているライラックの花が、今と幼少期、そして大切な人、祖国と亡命先を結ぶ、ひとつの鍵となっているのがとても素敵だ。






2010年6月9日水曜日

映画『プレシャス』



プレシャス


2009年/アメリカ映画

監督 リー・ダニエルズ
製作総指揮 オプラ・ウィンフリー
タイラー・ペリー
リサ・コルテス
トム・ヘラー
製作 リー・ダニエルズ
脚本 ジェフリー・フレッチャー
出演者 ガボレイ・シディベ
モニーク
ポーラ・パットン
マライア・キャリー
レニー・クラヴィッツ





この映画は、まるで日常で起こっていることを
そのまま見ているような気持ちにさせる映画だった。

それは、演技が自然であることと、題材がそう思わせることだったからだろうか。

見ていると、主人公のプレシャスの気持ちに自分がなってしまい、
カウンセラーなどの他人に、
家庭で起こった出来事を話さなくては成らないという
地獄を共に味わった気分である。

主人公のプレシャスことガボレイ・シディベの演技は自然で、
かつ、外観も凄くインパクトがあり、
ハーレムで本当に起こっていることを見せてくれるようだ。

先生役のポーラ・パットンは、その役所と天性の品格がマッチして
とても印象的だった。

ハーレムに行ったことがあるだけに、
そこで起こっていることの複雑さを、映画で深く知ることとなった。

どうせダメなんだというある種の諦めの言い聞かせと、
家庭内の暴力が重なった場合、
それを救うことは、かなり難しいことである。

公正な機関がない時代がとても恐ろしく感じる。

このような環境下において
子どもが前を向くことが出来なくなるのは当然であるが、
一時の苦しみを乗り越えて、先生が自身を着けて行く様子や、

母親との決別をするプレシャスの勇気が凄かった。

 映画の最後に「For Girls」みたいに、全ての女の子達へという言葉があって、
それがとても素敵だった。

2010年6月8日火曜日

映画『あの夏の子供たち』

 あの夏の子供たち

2009年/フランス
監督:ミア・ハンセン=ラブ

第62回カンヌ国際映画祭 “ある視点部門”審査員特別賞を受賞。

悲しいはずのストーリーを淡いイメージとさわやかなテンポで日常の一コマのようにかんじさせる映画。

音楽の使い方がとても特徴的。

インタビューはこちら。

2010年6月7日月曜日

映画『ALL THAT JAZZ』


1979年 アメリカ
監督:ボブ・フォッシー

一言で言えば、ボブ・フォッシー版『8 1/2』であり、「意識の流れ」を映像で表現したような作品となっている。又は、死に瀕して走馬灯のように回想される生前と臨死体験といった風である。想起されるイメージは大概煩悩や七つの大罪がらみである。ジョーは入院してからテレビを見る事が増えたが、ある番組の司会者は出演者を常に「◯年来の最も親密な大親友」と称する。何かが次第におかしくなっていき、ネットワークで自殺予告でもしたか「悩みを突き抜け歓喜に至れ」かと思うようになる。エリザベス・キューブラー=ロス的死の受容のプロセスを取り入れるなど複雑な構成の上学術的要素も盛り込まれている。ジョーは、生死の境をさまよい、その過程で何度かまぼろしのショーの世界にいる。そこにはテレビ番組の司会者も登場しジョーの親密な間柄の女性は心臓の障害を表す衣装で現れミュージカルを踊る。健康を無視して薬でごまかしているのは医者嫌いだったからだろうか。

2010年6月6日日曜日

映画『フラガール』


公開2006年9月23日
監督:李相日

邦画というのは、あまり見た事がなかったのだが、久々に見て、なんだか洋画よりも
もっと繊細な人間の心情などを捉えていて、それが演技に、そしてストーリーになっていた気がする。

正義と悪という単純なものでなくて、もっと複雑な心境というか。
紙一重の心情の揺れというか。

この映画は面白かった。

コメディータッチで色々なキャラが描かれていて、濃かった。
しずちゃんのキャラについては、少しやりすぎな気はしたが、
彼女の存在が全てを肯定できる何かがあるので、大丈夫だった。

映画で描かれていた野蛮な男性たちには、
こちらも見ていて嫌気がさす程であったが、
それを、ぶっちぎるように、先生役の松雪泰子がスパッとした演技をしていたので、
それに見ている自分が助けられた。


そして、この映画の面白さは、なんと言っても、事実に基づいたストーリーだったことである。
あの時代に、あの場所で、ハワイアンだのフラダンスだの
馬鹿げた話と思われたろうことは、想像がつく。
フィクションなんじゃない?
でも、それが本当にあったというのだから、すごい。
それ自体が面白い。

あと、気に入った箇所が1つ。
何だったか忘れたが、別のシーンから炭坑のシーンに移る時、
同じ音でつながれていたところだ。
スピード感があったし、
この場面とこの場面一緒の音?
みたいな驚きがあった。
たしか、炭坑の音を前だししていたと思う。
それでも、前のシーンにあっていた。


やはり、これが実際の話だったと思うとやはりそこが一番面白かった。



2010年6月5日土曜日

映画『TAP』

TAP

監督:ニック・キャッスル
1989年 アメリカ


ストーリーとしての内容は、
個人的には、よくある感じだと思ったが、
見所は、そこではない。


言葉では言い表せない、あの素晴らしい音楽、リズム、ダンス
そして、照明などの光の美しさ。
始めの刑務所でのシーンが一番忘れられない。


やはり、ダンスなどの身体表現をよりよく表現するものは
まさに、照明技術であると感じた。


絵の作り方のかっこよさに吸い込まれるようにして物語は進んでいき
あっという間に、終わってしまった。


音楽のジャンルの選曲、リズムの流動が素晴らしい。


こう後ろから波に突き動かされる感じ。
視覚よりも先に聴覚が世界に引き込む感じ。


なぜ、自分がこんなにも、ダンスや音楽が好きなのか
はっきり言って、よく分からないが
とても好きだ。


なにはともあれ、タップダンスと音楽の素晴らしさが目立った作品。

アメリカっっ!っていう雰囲気がものすごく溢れていて
ありきたりでなストーリーでありながら
見所満載な、こういうダンスムービーがあって
よかったなぁと思う。


これを作った人のセンス、この作品の良さに納得!!







2010年6月4日金曜日

映画『THIS IS IT』

THIS IS IT

2009年 アメリカ
監督 ケニー・オルテガ


すごく良かった映画!!

今更書くことでもないが、、、マイケルが、、、
すごい人だと
すごい才能の持ち主だと
すごい努力家なんだなと
ひたすら感動しました。

映像を研究しているものとしては、
音楽はまさに『時間芸術』として共通するもの。


あんなに時間を遊んで
みんなのテンションを異次元に持っていくことができるのは、、、
POPSというジャンルとか、音楽というジャンルとか超えて
すっごく、勉強になる!

というより尊敬します。


特に映画のシーンで良かったのは
マンハッタンを背景に
労働者たちが影のように映し出され、工事をするような休憩をするような
スウィングに乗っているシーン。


なんだ、あの絵のかっこよさは。
あの絵の色感は。


目に焼き付くような光景でした。


あぁいう、すっっっごくカッコイイというか
もうこれ以上ないという出来の『絵』とか『ダンス』とか『音楽』とか
見るだけで、すっごく幸せになります。


それに、、、
全員でモノを作っていくときの団結した姿勢。
みんながマイケルを尊敬していて
その一つ一つの改善点に納得していて。
よく、モノづくりの現場で起こる
みんなの意見がバラバラという状況がない。
マイケルの感性に惚れ込んでいるからこそ
その世界感を信じ込んで、みんなが一致団結している。

表現する人たちって正直な人が多いから
衝突も多いはずなのに
みんなを納得させてしまうほどのセンスを持っているマイケルは
ただ者ではなかったのだと、、、
理由もなくわかってしまいました。


そんなスターだったからこそ
人一倍の孤独があって、その途方もない孤独があったからこそ
あのような詩が掛けたのであり、あのような作品を残したのであり
やはり、モノづくりをする人の『孤独』、それに立ち向かった『勇気』を感じたのでした。


また、音楽における一番大切な要素は
『空白』
なのだとわかった。


Jazzでも休符こそが、人のプレッシャーを抱え込み
次への溢れ出す感情、解放へつながるモノだと実感。


マイケルが言っていた
「お客さんは、非現実を求めている。だから、非日常の世界をつくりだそう」
ということば。
映像を作るものとしても、これってすごく大切なこと。

見てもらう人に非日常の体験をしてもらえるのが、メディアを使った芸術なのだから
そこに、自分のセンスとか、努力とか、全てを注ぎ込んだものを作らなければならない。
そのための勉強も、欠かせない。


とは言いながら
子どものような天真爛漫さやただ表現が好きだと言う気持ちが
常にあったから、マイケルのような人は
新しいものがつくれたんだなぁと思う。



本当にすごい人生だったんだなと思う。



これからも発見が沢山ありそうだから
マイケルのPVとか、見ていきます!





2010年6月3日木曜日

映画『OCEANS』




2009年 フランス
監督 ジャック・ペラン/ジャック・クルーゾ


OCEANSは、いわゆる生き物のドキュメント映画かと思ったが
それは、世界中の生き物たちが、まるでディズニーのキャラクターのように
濃い個性がでている。

生き物たちの生き様に、愛着を感じ
自分たちと同じように生きているもの
海の生き物の社会が形成されているかのように感じた。

そして、この映画では
海の音、生き物の音が序盤から使われ
後に、アナウンス。それから、音楽が使われていた。

特に、海底で、かにが歩く時の音がとても心地よかった。
しかし、魚が泡を出す音や、カニとシャコの格闘のシーンなど
色んな場面の節々で
これは、誇張するための合成かなと思わせる音があった。
水中の生き物の音はどのようにして、録音するのか。
やはり、波でつくっているのか。疑問になった。


そんなことを考えながら、映画は、ダイナミックなイワシの大群や
クジラを映し出す。
動物たちの制限のない自由さが描き出される。
すると、終盤でこの映画の主題が表れる。

それは、環境問題。
人間の惨い行いが次々と描き出される。
犠牲になる動物のシーンは、人為的に処理してあるとのことで、
CGなのか。
少しCGぽかった気がする。
それにしても心が痛んだ。

初めからの9/10くらいまでは、豊かな海を描き
観客に海の生き物への同情を促し
最後の1/10くらいで、残酷な現実と生き物の豊かさを交互に描き出す。


没入してから、ガンガン心が振り回される感じがあった。


そして、ふと、ある話を思い出した。

水中カメラマンの中村征夫さんの話だ。
海でのきれいな写真。
クジラの写真が目に浮かぶだろうか。
中村征夫さんは、海でクジラとかそういった生き物の写真をとっている。
そのような写真を撮れることはすごいなとは思っていたが
彼が、まさかクジラの写真をとるときに
足の骨を折る大けがをしていたとは。
いまでもかがむのが難しいという。

こんな写真よく撮れたね!!
と、すごい写真を見ると思うのだが
その一瞬をとるために、本当に体を張っている場合があること。
これは本当に恐ろしいと思う。
自然の中で動物の写真を撮るとき、安全保証はないということだ。

中村さんはこのとき、親子のクジラの撮影をしようとしていたが
中村さんに同行していたスタッフが母クジラの神経に触ったようで
尾びれでたたかれるのを助けようとして自身も負傷したという。
本当に恐ろしい世界だ。


しかし、彼は、そんなことのない、人間に気を使う別の優しい母クジラの話もしていたけれど。


というわけで、この映画も沢山の命がかけられてつくられたのではないかと思う。
本当にすごいことだ。
このように、命をかけて撮影に行くカメラマンの方を本当に尊敬するし
またその方の家族の心配を思ふ。





2010年6月2日水曜日

映画『ガンジー』

ガンジー


1982年公開のイギリスとインドとの合作映画
監督:リチャード・アッテンボロー
脚本:ジョン・ブライリー
音楽:ラヴィ・シャンカール
ジョージ・フェントン
*第55回アカデミー賞 作品賞受賞作品。

ガンジー役にベン・キングスレー


ガンジーは、小学生の時に伝記でを読んでおり、とても感動した。
この映画は、とても質が高く、アカデミー賞になった理由が分かった。

映像も音楽も衣装もすばらしく良かった。
インドの素敵な部分が見れた。

ガンジーの生き様はすごすぎて書く事ができない。
でも、ひとつ言うなら、、、
暴動をやめさせるために、断食して、自分の命を掛けていたところが凄かった。
みんなガンジーを慕っていたから、ガンジーの死に向かう姿勢を知ると暴動をやめるということだ。
なんていう人だったのだろう。
どうしてそんなに強い人になれたのだろう。


映画として超大作だったし、時代に残る人の凄い超人的な生き方が面白かった。


また、群衆に対して、呼びかけを行う際には、
遠くの丘の上まで人、人、人で、
そんなに多くの人はどうやって?
タイタニックのようにCG?
ではなく、
本当に集まってくれたインドの人々だという。
ガンジー役のベン・キングスレーが言うには、
ガンジー役をしていると、
どんなに本物のガンジーがインドの人に慕われていたかが分かるという。

それ程までに、
人々の心に残る偉大な人だったのだろう。

映画として、この作品はまた見たいと思うものだった。





2010年6月1日火曜日

映画『ぼくの伯父さん』

ぼくの伯父さん


1952仏
監督:脚本: ジャック・タチ
脚本:ジャック・ラグランジェ
撮影:ジャン・ブールゴワン
美術:アンリ・シュミット 
出演:ジャック・タチ/ジャン・ピエール・ゾラ/アラン・ペクール/ドミニク・マリ


この映画は、軽いタッチの曲とともに、ひょうきんなおじさんが出てきて、
近代的な階級の家と、下町のアパートを行ったり来たりする、
全体的にコメディーな映画だった。

色彩や、カメラのアングルが良かった。
中でも気に入っているシーンは、アパートの自分の部屋までたどり着くまでのシーンで、
そのアパートのつくりが面白いから、下のガラス窓から足が見えたり、
どこに行くんだろう?と目が離せなかった。

子どものいたずらや、家族が見栄をはる姿や、
失敗を隠そうとする姿が描き出されており、
それは、完璧でない人間の姿を、オモシロおかしく描いているようだった。


だから、劇的なストーリー展開というのはなく、
ただ、『こういうことあるよねっ』とクスクス笑えるような作品だった。


それにしても、未来を描く映画というのは、面白い。
この映画は1952年に作られたらしいが、未来の生活を真剣に予測している。

ボタン1つで引き出しが開いて、コップが出てきたり、
そこまで、サイバーチックなのか?というほど、未来に対しての予測がなんだかおかしい。

半分当たっていて、半分はずれているような。


ただ、このような映画は、実際の街でロケが行われているわけで、
いくら1つの一軒家をサイバーチックにしても、どこか、未来的ではない
むしろ昔の雰囲気がして、そこになんだか、安堵感を持ってしまったりする自分がまたおかしい。


この映画を見て、人間観察をして、その人間のおかしさをポジティブに笑ってしまう
そんな経験をした。






2010年5月31日月曜日

映画『男と女のいる舗道』

女と男のいる舗道 [DVD]


1962年公開
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
撮影監督 : ラウール・クタール

主演:アンナ・カリーナ


カメラの切り抜きかた。
状況説明がすごくよかった。
出だしもかっこいい。
2人がけんかしているが後ろ姿で、
たまに鏡ごしに2人の顔が交互に見える。
カフェのシーンも良かった。
人間観察に基づいているというのが良く分かるくらい
人間の色々な複雑な心境のようなものが表れていた。

映画『勝手にしやがれ』





1960年公開
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール

ゴダールの長編デビュー作。
主演はジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグ。

乱暴なストーリーにそれなりの結末。
でも、それが見所なのではなくて
人間のそういう心理の部分なのか。
人間の弱い心が全面に描かれていたように思う。
とくに、ドライブしながらけんかをするシーンが面白かった。
同じような語り節で、短いカットをいくつもつなげる。
場所がいちいち変わるので、どれだけ遠くにくるまでけんかしていたのか、その長さというのが分かる。






2010年5月30日日曜日

映画『華氏451』

フランソワ・トリュフォー監督による、1966年のイギリスの長編SF映画である。
フランソワ・トリュフォー監督は、今日ではヌーヴェルヴァーグの一人として知られている。

<ヌーヴェルヴァーグ>
1950年代末に始まったフランスにおける映画運動のこと。
広義においては、映画制作会社における助監督等の下積み経験無しにデビューした若い監督達による、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などの手法的な共通性のある一連の作家・作品を指す。
狭義においては、映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の主宰者であったアンドレ・バザンの薫陶を受け、同誌で映画批評家として活躍していた若い作家達(カイエ派もしくは右岸派)およびその作品のことを指す。モンパルナス界隈で集っていた者で、主にドキュメンタリー(記録映画)を出自とする面々をことを左岸派と呼び、一般的にはこの両派を合わせてヌーヴェルヴァーグと総称することが多い。

ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)と言う呼称自体は、1957年10月3日付のフランスの週刊誌『レクスプレス』誌にフランソワーズ・ジローが「新しい波来る!」と書き、そのキャッチコピーをその表紙に掲げたことが起源とされる。
しかし、この言葉が用いられる以前から後にヌーヴェルヴァーグ的動向は既に始まっていた。
トリュフォーは1954年1月号の『カイエ』誌に掲載した映画評論「フランス映画のある種の傾向」において、当時のフランス映画界における主流であった *詩的リアリズムの諸作品に対し同様の観点から痛烈な批判を行なった。その論法の激しさからトリュフォーは「フランス映画の墓掘り人」と恐れられたが、これはヌーヴェルヴァーグの事実上の宣言文となった。

一般的にはトリュフォーやルイ・マルなどが過激な論陣を張った1967年のカンヌ映画祭における粉砕事件までを「ヌーヴェルヴァーグの時代」と捉えるのが妥当である。
しかし、即興演出、同時録音、ロケ中心を手法的な特徴とし、瑞々しさや生々しさを作品の特色とする「ヌーヴェルヴァーグの精神」はその後も生き続け、ジャン・ユスターシュやフィリップ・ガレル、ジャン=クロード・ブリソー、ジャック・ドワイヨン、クロード・ミレールらは「カンヌ以降(もしくはほぼ同時期)」に登場し評価を得た作家だが、いずれも「遅れてきたヌーヴェルヴァーグ」との評価を得た。

*(詩的リアリズム)
映画批評家・サドゥールによって提唱された一部のフランス映画の定義。
表現手法としては、大型セットにおけるスタジオ撮影を基本とし、遠近などに関して誇張を行なう場合が多い。


この映画を見て、私は、始めにこの映画のカメラワークがとても好きだと気に入った。
そして、建築や衣装などのデザインがすごく洗練されていて、面白かった。
ストーリーとしては、やや残酷で、過酷であった。
しかし、最後の『本を暗記なさい。そして、その本を焼きなさい。暗記すれば、私たちから本は奪えないのだから』というような台詞を言うことがある。

また、テレビのニュースで主人公、モンターグが追跡されているシーンで、
実際にモンターグが捕まっていないのに、
人々は、すぐ結果を見たい、落ち着きたいのだから、
わざと嘘のビデオ、つまり、モンターグがしとめられる映像をニュースでながしている。
これも、人間の集団心理。を誇張して、
映画の中のコメディー的な部分としてだしていると思った。

全体的に、この作品が気に入った。





2010年5月29日土曜日

映画『AVATAR』

監督・製作・脚本 ジェームズ・キャメロン
音楽 ジェームズ・ホーナー
公開 2009年12月
*構想14年、製作に4年以上の歳月を費やした。


まず、3Dメガネを掛けたときにビックリした。
今までの映画とは違って、奥行きがある。
まるでそこで事が起こっているようで、音響の大迫力とともにその世界が包み込んでしまうようだった。


案の定、その感動は、予告編の3Dのアリスで、起こってしまったのだが。


ストーリーとしては、主人公がAVATARの中の自分と実際の自分のどちらが本当の自分か分からなくなってしまい、人間の自分を捨ててしまうという、ところが面白かった。

しかし、後の部分は3Dの迫力を魅せるのが第一目的だったのか、ほとんど戦いのシーンで構成されていて、マンネリ化していたようにも思う。
正義と悪が戦い、正義が勝利するというような、いつもどおりの展開で、戦えば良いというような、姿勢が感じられた。



しかし、3Dは本当にすごかった。



音楽が大ボリュームで流れているので、怖さも緊張も、感動も
振動として大迫力で狭ってくる。
それ以外のものが何も考えられないようになる。
耳を塞ぐと、どんな怖いシーンもそれほどまで怖くなくなる。
やはり音の威力は凄いんだなと思った。
その音楽といえば、、、わりと聞いた事のあるような民族音楽のようであったりして
未来の話なのに、昔懐かしい感じがした。
AVATARが未来の生き物なら、もっと、地球にないような音楽のほうが良かったのでは?と思った。


そうはいっても、迫力、世界観は凄かった。


ただ、3時間ほどの時間のうちに
3Dに慣れてしまう自分がいて驚いた。
なんという順応力。
人間って恐ろしいなと思った。
この調子でいったら、3Dの時代も数年で過ぎて、
また新しい次元に行ってしまうのか…??


あと、凄いのが興行収入。
軽く、制作費の10倍は越えてしまう。
映画ってすごい!!


また、アリスとか、もっとファンタジーにせめてくるだろうから、
見に行ってみたいと思う。





2010年5月28日金曜日

映画『マリア・カラスの真実』



2007年 フランス/ギリシャ/オーストラリア

監督:Philippe Kohly
脚本:Philippe Kohly


出演 マリア・カラス | Maria Callas
フィリップ・フォール | Philippe Faure
ジャン・コクトー | Jean Cocteau
ジュゼッペ・ディ・ステファノ | Giuseppe Di Stefano
ティトー・ゴビ | Tito Gobbi
グレイス・ケリー | Grace Kelly
ジャクリーン・ケネディ | Jacqueline Kennedy
ミシェル・ルグラン | Michel Legrand
エルザ・マクスウェル | Elsa Maxwell
Aristotle Onassis
ピエル・パオロ・パゾリーニ | Pier Paolo Pasolini
Georges Prêtre
Lee Radziwill
トゥリオ・セラフィン | Tullio Serafin
ルキノ・ヴィスコンティ | Luchino Visconti
フランコ・ゼフィレッリ | Franco Zeffirelli




2010年5月27日木曜日

映画『MODE IN FRANCE』



MODE IN FRANCE 1984
監督:ウィリアム・クライン


モードの教科書!シネマのなかの80'Sパリコレクション

ゲンスブールによるフランス国家とともにデザイナーが勢揃いするショーにはじまり、保育園児たちの仮想ショー、20世紀のモード史を振り返るシーケンスと続き、本編に…。
ゴルチェとのコラボレーションは200人のパリジャンに服を着せて街に飛びださせる疑似ドキュメンタリー。
シャンタル・トーマスの「告白」では、白箱に押し込められたモデルが真実を暴露。
ケンゾーの「映画モード」は、フレッド・アステア風な刑事長とモデルによる探偵映画仕立て。
モード界が最も燃えていた'80sのパリを舞台に、ファッション産業に支えられたフランスと、ビック・デザイナーに群がるファッション中毒者たちを12篇の様々なスタイルで描き出す。




この映画は、12篇のそれぞれの映画から成っていて、
それぞれのデザイナーごとに映画のテーマが違っていて面白かった。
特に、シャンタル・トーマスの「告白」が良かった。
白箱に押し込められたモデルが真実を暴露する。
映画といえども、これはインタビューそのもので
モデルという喋らない、普通の人間とは、見かけ的にも一線を期しているような存在の人が
自分の生い立ちや、負い目、もっとポジティブなこと
恋愛関係、男について語っていて
見かけからみる華やかな感じだけじゃなくて
というか、それとはかけ離れたような実態というのが見えてきて
ビックリした。

仕事に忙しい彼女たちは、夜遅く仕事から帰宅したり
自分たちが寂しいときに隣りにいてくれるような男性が結局必要な場合が多いらしく
仕事をしていない男性を養うということも少なくないとか。

まさか。という事実だった。


あと、良かったのは
服が人をつくるというような言葉ではじまり
幼稚園児が服を選び
顔にペインティングする出だし。


後に、大人が出てきて
それなりのファッション、モードの世界が写るのだが
その世界で行われていることの原点は
この子どもたちが服を選んで、何かになりきったり、色々おめかししている
その様子と一緒ということ。

凄かった。


さらに、ファッションの歴史が面白かった。
昔の一人で着ることが出来なかったような重厚な服の時代から
シャネルが登場して、身軽になって、、、
というように、現代のところまで。
3人の人が早送りでどんどん変化していって面白かった。


このような、大雑把な映画もかっこいい。

とくに、街にゲリラ的に出動したり
実験的で、、、
型にはまっていないからいいのかな。





2010年5月26日水曜日

映画『海辺のポーリーヌ』(Pauline a la plage)



仏1983
監督・脚本 エリック・ロメール

あまり期待していなかったのだが、
見てみたら以外と面白かった。


はじまりに出てきたこの詩↓が印象的。

"Qui trop parole, il se mesfait" Che. de Troyes
"言葉多きものは災いの元" クレチアン・ド・トロワ


ずっと、このようなことで、論争をしている。


フランスの映画を見るといつも思うが、
彼らは、いつも言葉の表現1つ1つにダメだしをしている感じで、
言葉に対して厳密だ。
そして、ずっと話つづけている。
止まらない。

この詩のように言葉が多く、災いをもたらすというそのままの映画だった。


ただ、衣装とかを見ても思うが、
1983年の映画だというのに、すごくかっこいい。
今でもそう思えるのってすごい。





2010年5月25日火曜日

映画『NINE』



2009年のアメリカ映画。
監督:ロブ・マーシャル
ダニエル・デイ=ルイス - グイド・コンティニ(スランプに陥った映画監督)
マリオン・コティヤール - ルイザ(グイドの妻)
ジュディ・デンチ - リリー(衣装デザイナー)
ソフィア・ローレン - グイドの母親

フェデリコ・フェリーニによる自伝的映画『8 1/2』をミュージカル化し、トニー賞を受賞した同名ブロードウェイ・ミュージカルを映画化した作品である。
マーシャルにとっては3作目の映画作品で、映画監督デビュー作でアカデミー賞作品賞を受賞した『シカゴ』に続くミュージカル映画となり、主要なスタッフも再結集している。


ロブ・マーシャル(Rob Marshall、1960年10月17日 - )は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州マディソン出身の映画監督・振り付け師。
1982年にカーネギー・メロン大学を卒業後、ブロードウェイで舞台振り付け師として活動を始める。
自他共に認めるボブ・フォッシーのファンであり、かねてから構想を練ってきた彼の代表作『シカゴ』を2002年に映画化。振り付けも担当し、2003年アカデミー賞では最優秀助演女優賞(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)、最優秀美術賞、最優秀衣装賞、最優秀編集賞、最優秀音響賞、最優秀作品賞の6部門でオスカーを獲得した。続く『SAYURI』でも舞踊の振り付けを担当した。



アメリカの、ミューーージカルっていう感じだった。
イタリア男なら遊べ!
みたいなメッセージを歌いまくる女がいたり
ドロドロな感じ。
シカゴを映画化した監督だったけど
衣装から何から何まで
別にシカゴとそんなに変わらなかったように思えて
チャレンジがなかったように思った。

このようなストーリーで
別に心に響く歌でもなかったけれど
多額の資金を投じて
真剣にこの映画を作ったかと思うと
ちょっとよくわからない。

まるで、映画監督が職業病のように、変。というキャラ設定であるが
映画『恋愛小説家』にもあるように、良くある話だった。


ひとつ、面白かったのは、現実の世界と
回想シーンや、今の心の中の自分が別に撮影されていて
それが現実のシーンに織り込まれていた事。
映画だから、別に歌う必要は特にないのだけれど
そういう風に、心の中とかを映し出すには
そんな歌のシーンがあってもきつくはなかった。
衣装も良かった。


ただ、このストーリー
あんなに大女優を沢山使わなくてよかったのでは?と本当に思う。
あんなすごい女優さんを使うなら
もっと演技のやりがいのあるものをやるべきでは。


ミュージカルの映画ってちょっと難しいなって思う。
やっぱり劇場で見るとダンスとか歌とかすごい!って思うから
ストーリーとか気にならないけれど
映画となると、ストーリーが気になる。
やっぱりカメラを通すから、アップとかもできるし、
台詞もちょっとつぶやいた感じで十分、というかそのほうが魅力があるように思う。
劇場では、歌うように、自分の感情を表現するほうが、
音楽と気持ちが乗って、劇場全体をつつみこめるのかもしれないけれど
映画には特に必要がないと思った。


イタリア人はこれを見てどう思うのか。。。





2010年5月24日月曜日

映画『IN & OUT OF FASHION』

イン&アウト・オブ・ファッション


1993年フランス映画
監督 William Klein

写真家、映画監督、グラフィック・デザイナーなど様々な肩書きを持つW・クラインが、自らの半生を振り返るドキュメンタリー。イヴ・サン・ローランを始め著名人が語る彼の素顔や、モード界の最先端を歩いた彼の写真や衣装デザインなどを紹介しつつ、その半生を回顧する。



SFってこういうことかと、前回のMODEL COUPLEと同じように分かった。





2010年5月23日日曜日

映画『人間ピラミッド』



1961年製作のフランス映画。
原題『La Pyramide humaine』。 
監督は映像人類学者として知られるジャン・ルーシュ。

地元の高校生の人種差別問題に気づいたルーシュは、この問題を主題に16ミリ映画を撮ることを思いついた。
1959年7月の夏休みを利用して撮影が始められ、無声で10時間分撮影された後、9月に仮編集された。
その後、年末のクリスマス休暇、翌年の復活祭休暇を利用して追加撮影が行われた。
最後の撮影はパリの撮影所に作られた教室のセットで既にパリで勉学中の5人に加え、アビジャンから5人の若者を呼び寄せて行われた。
16時間にのぼる撮影素材は、半年間の編集を経て、92分の映画作品となった。
なおコート・ジヴォワール共和国は1960年8月7日に独立、この映画はその後の1961年4月19日に公開された。

「この映画は黒人と白人の青年グループの中に作家が喚起した実験である」。

黒人のドニーズと白人のナディーヌは、ともにパリで学ぶ大学生だ。だが、彼らは一年前、コート・ジヴォワール自治共和国の首都アビジャンのココディ高校に通っていながら、互いに面識もなかった。
ジャン・ルーシュが、白人グループと黒人グループのそれぞれの最終学年の高校生たちと面談する。
アフリカに来たばかりの新入生ナディーヌが自己紹介する。彼女の目から見た同級生たち。素朴な彼女には人種差別問題が理解できない。
友情、恋、音楽、踊り、詩……。ナディーヌの編入によって、白人グループと黒人グループの交流が始まる。
ドニーズはナディーヌにアフリカの抱える政治問題への興味をもたせようとする。
誰とでも分け隔てなく接するナディーヌは異性の誤解を招く。
やがて映画の中の悲劇が生じ、白人グループと黒人グループはまた分離してしまう。
「映画の終わりがヴァカンスの終わりだ」。「映画は終わるが彼らの物語は終わらない」。


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この映画がすごい所は、一人一人の役割を俳優に与えること。
そして、コートジボワールでの人種差別問題を扱う事。
この2点を決め、
シチュエーションを作って、そのまま人間の動き、発言を記録していることである。

音楽も、アフリカ音楽、西洋音楽、ポップスという三種類を使っていて、
文化を保存する役割をしている。



実際の頭で構築した世界、話ではなく、
ある所、カメラの中の人が本気になって、
役を演じているのではなく、
役によって自分が変わったり、
そのままの自分が出てきたり、

自分って何なの?
コントロール不可能で、すごい人間の勢いが伝わってきた。

実際、ここでの白人(フランス人)と、黒人(コートジボワール人)は
映画に参加するまでは、お互いを軽蔑していたという。

しかし、彼等高校生が、人種差別の壁を越えて、友達になっていく
というストーリーのもと、
本当に友達になってしまったという。


映画が人を作ってしまったということ。


これは、歴史的にもすごいことだと思う。


何せ、この映画の直後にコートジボワールが独立したり、
この映画に参加した子が後に、大臣になったりしたというから、
この映画のおかげとは何もそんな根拠はないけれど、
少なからず関係があるはず。

それに、<グンベ>という地元のダンスパーティーで、
文明的優位者であるフランス人が、
身体とリズムを貴重にしたダンスの場では、たじたじになっていて
アフリカ的文明においては、劣等者となっていたところが印象に残った。


差別社会の実態を映した、すごい記録だと思う。


予想できないことに挑戦する監督がすごいと思う。
こういう風に即興的に作るってすごいなって思ったら、
監督、ジャン・ルーシュは
JAZZにすごく没頭した時期があったそう。

本当JAZZの即興みたいな作り方の映画だった。
とにかくどう動くか分からない人間のうつろいをキャプチャしているのが
とても面白かった。






2010年5月22日土曜日

映画『RED, WHITE & BLUES』



公開 2004年 8月  アメリカ

監督:マイク・フィギス (Mike Figgis,1948年2月28日)

イギリス出身の映画監督・脚本家である。幼い頃はケニアのナイロビで育った。
ミュージシャンでもあり、ギターとトランペットを演奏する。"The Gas Board"というバンドに所属していた。映画の音楽も自分でつける場合が多い。



心に残った一言。
bluesは『今生きている人生、過去の人生、未来の人生』を歌っているから、心に響く音楽、Rock, R&R, JAZZの原点となるような重要な音楽なんだ。ということ。


レコードの発明によって、音楽が保存できるようになった。
それによって、イギリスの人がBLUESを聴くことが出来た。
アメリカでゴミとして捨てられていたような音楽を拾ったのはイギリス人で
彼等がいなかったら、今頃、黒人は暗闇にいただろう。
だから、彼等にとても感謝している。

ということに感動した。
泣きそうになった。

BLUESを愛するものはBLUESを保存しなければならないというのがMike Figgisの考えである。
メディアによってできる最大のことだ。

BLUESの知られざる側面を暴きだし、さらに、文化を保存するという目的で
映画という形式を使っているのがおもしろい。


インタビューで構成されているのだが、本当に良く出来ている。
感動!






2010年5月21日金曜日

映画『クレーヴの奥方』



1999年ポルトガル
監督:マノエル・デ・オリヴェイラ

シュールにすごい。
ロック歌手とクラシカルな女性の恋愛ストーリー。
設定が壊れているのに
平静を保って物語は進行していく。




2010年5月20日木曜日

映画『クジラの島の少女』



2002年 ニュージーランド映画
監督・脚本:ニキ・カーロ
音楽:リサ・ジェラルド


ニキ・カーロ(Niki Caro、1967年 - )
ニュージーランド・ウェリントン出身の映画監督、脚本家、映画プロデューサー。
オーストラリアで映画製作を学んだ後に、ニュージーランドのテレビ界で活躍。1997年に映画監督としてデビューした。


この映画は、マオリ族の伝統を守ろうとする世代と若者の世代の葛藤が描かれている。
主人公のパイが、女でありながら、1つ運命、部族の長に導かれていくストーリー。
女が部長になることを受け入れられない、村の長であるおじいさん。
まるで、愛子様を取り囲む状況と一緒だ。
と、このニュージーランドの映画を見て思ったのが不思議。

パイの父親であるポロランギ役の人が言うには、
何が大切で、何を捨てるべきか。
が重要になるらしい。


伝統的な儀式や踊りや歌などが地元の人やキャストによって描かれており、そのエネルギーはすごい。
こうやって、民族の歴史、文化のアーカイブにも貢献した1つのフィルムだった。
また、ファンガラという、マオリ族の住む村で撮影が行われただけでなく、
キャストが全員マオリ族の血を受け継いでいる人で、
しかも、主要人物以外の人々は、地元の人だという点も面白い。


低予算映画ということで、
NZ$6,000,000で作られたそうであるが、低予算だとは気がつかないほど、
充実した内容となっている。


音楽も誇張しすぎることなく、程よかった。






2010年5月19日水曜日

映画『盗聴』

1974年製作のアメリカ映画
監督・製作・脚本:フランシス・フォード・コッポラ


映画の構想自体は、監督のフランシス・フォード・コッポラが1960年代中盤から暖めていたものである。

この映画は、サスペンス映画の傑作として高く評価されているというように
確かに、すごい映画だった。

盗聴を担当する録音業者が終いに、自分が盗聴されている心配に陥る。

ロケも、1つの公園と室内が中心で撮られているが、
それを感じないほど、上手くストーリーが構成されていて、
壮大なスケール感だった。


そして、音も特徴的で、盗聴らしく、
野外録音の音質の悪いものがずっと流れてくる。

恐怖のシーンでは、何度もその言葉をリピートして、主人公がテープを巻き戻して聞いたりしていて、
それもまた、観客に恐怖をあおるような効果を持っていた。


色んな意味で勉強になりそうな映画だった。






2010年5月18日火曜日

映画『ダンス・オブ・ダスト』

アボルファズル・ジャリリ監督



■映像と音が織りなす、壮大な世界

言葉を越えたコミュニケーション──心と心のつながりを描く本作には、台詞が存在しない。しかし、泣き声や笑い声、歌声や祈りの声、さらには風の音や雨の音、火の燃える音や水の流れる音など、日常にあふれるありとあらゆる音が刻み込まれている。その音に呼応する映像は、自然と共に暮らす人々の生の姿を、時にユーモラスに、時に厳しさをも映し取りながら、積み重ねられていく。
一体となったこの映像と音は、壮大な一篇の詩となり、雄弁に語りかけ、圧倒的な力で観る者をとらえて離さない。「この映画を観るたびにいつも新しい発見がある。これは確かに私が創った映画だが、そこには私を超える何かが存在する」とジャリリが語るように、観る者は『ダンス・オブ・ダスト』で、今までにはない"映画"を体験することだろう。



■時代はジャリリに追いつけるか!

製作直後から、理由も判らないまま一切の上映を禁じられてしまった『ダンス・オブ・ダスト』は、封印され、幻の映画となっていた。しかし98年になって、ロカルノ、東京、ナントなどの国際映画祭のスクリーンに、突如姿を現した。たちまち世界は騒然となり、本作は数々の賞に輝くとともに、ジャリリの名は、一躍世界に轟いた。ジャリリは、時代を先取りしすぎていたのだろうか。
その後、フランスで一般公開され、批評家たちだけでなく、観客からも絶賛されヒットを記録した。
そして21世紀になった今、『ダンス・オブ・ダスト』は、日本でようやくそのヴェールを脱ぐ。




アボルファズル・ジャリリ
(Abolfazl Jalili)

<PROFILE>

1957年6月29日、イラン中央部のサヴェーに生まれる。13歳で自分が描いた絵や書を売り生計を立てる。79年、IRIB(イラン国営テレビ)に入社、この間に手がけた短編ドキュメンタリーや短編劇映画を通じて独自の手法を模索する。
少年院の子どもたちを実際に出演者に起用した第3作『かさぶた』(87)により、批評家の注目を集める。だが、常に過酷な状況下にある子どもたちをリアルに描くジャリリの作品は、イラン国内では常に賛否両論の論争を巻き起こし、92年製作の『ダンス・オブ・ダスト』は国内外を問わず一切の上映を禁止される。
95年、原因不明の病気にかかった妹を治そうとする少年を描いた『7本のキャンドル』がヴェネチア国際映画祭で金のオゼッラ賞を受賞。翌96年にはドキュメンタリーとフィクションを大胆に融合させた『トゥルー・ストーリー』がナント三大陸映画祭でグランプリを獲得し、ジャリリの名は一気に世界に知られることになる。
ハタミ政権が成立した後の98年には、『ダンス・オブ・ダスト』がついに海外での上映を解禁され、ロカルノ国際映画祭での銀豹賞をはじめ、各国の映画祭で様々な賞を受賞。同年、サン・セバスチャン国際映画祭では『ぼくは歩いてゆく』が審査員賞を受賞している。また、モフセン・マフマルバフ、ナセール・タグヴァイと競作したオムニバス『キシュ島の物語』は99年のカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に正式出品された。2001年、実際のアフガン難民の少年を主演に据え完成させた『少年と砂漠のカフェ』は、ナント三大陸映画祭で見事グランプリを受賞。2007年には麻生久美子の海外初進出作品となる『ハーフェズ ペルシャの詩』がローマ国際映画祭審査員特別賞を受賞。世界にその名を轟かせる監督である。





<インタビュー>

○ 監督にとって風とは何ですか。

悲しさを表すものであったり、誰かの話し声であったりします。タイトルの後ろに流れているのは「これから何かが起こるよ」と風が囁いているイメージです。風はいろいろな所を巡っているので、孤独な人間の声や、いろいろな言葉を運んで来ます。風の音は友人のように話をしてくれるのです。
○ 映画の中に出てくる手のお守りは何ですか。

宗教のシンボルです。1200~1300年ほど前に非常に悪い王様がいて、シーア派のリーダー・ホセインが、たった70人ほどで王様を倒しに3万人と戦いに行きました。どう考えても負け戦でしたが、悪い王様は倒すべきなので、闘わなければなりませんでした。2つの大きな川のほとりに壁を作られ、みんなは水が飲めなくなりました。ホセインは子供に水を飲ませたいと思い、川に行きました。その時、矢に射抜かれて手が落ちました。その伝説により、“手=水”というシンボルの構図ができたのです。でも、『ダンス・オブ・ダスト』の中で、村の人々は「雨よ、降らないで」と手のお守りに祈ります。イリアは「雨よ、降れ」と祈ります。大勢と一人の少年の願い事のコントラストをより強く出す為に、本来水を祈るべきものに対して、雨が降らない事を祈る村を描いたのです。神様はみんなの願いよりも一人の願いを聞きます。何故なら、神は愛を好むからです。雨が降れば気温が下がり、リムアの熱は下がる。イリアの仕事は無くなり、リムアも去ってしまうけれど、イリアはリムアの病気が治ることを祈ります。煉瓦を踏んでつぶしているのは、犠牲の精神を表しています。
○ 何故セリフのない映画にしたのですか。

幾つか理由はあります。一つに、映像のシンフォニーにしたかったからです。知らない国・言葉でも音楽を感じることはできる。前に日本に来たときに、カラオケに連れて行かれたましたが、歌詞は関係ありませんでした。知らない曲であっても、桜を見て一瞬いい気持ちになれるのと同じです。以前は映像の方が音よりも重要だと思っていました。でもある日、事故の音を聞いて、事故を見に行って以来、映像よりも先に音が来るのだと思うようになりました。また、セリフを無くして映像の強さでピュアな恋を出したかったのです。あと、祈りとは神との会話で、とても個人的な対話です。人に聞かれたくないものなのです。それも、字幕をなくした理由の一つです。
ロカルノ映画祭のディレクターに「タイトルも字幕もなにも入れないで欲しい」と頼んだら、「そんなことをしたら、みんな席を立ってしまうから、挨拶のときにストーリーを話せ」と言われました。でも、「愛のこだまを伝えたかった。僕の映画は普通じゃないかもしれないけれど」としか、挨拶では言いませんでした。ディレクターは怒って、「一緒に出口で観よう。きっと沢山出て行くから」と言い、2人で一緒に出口で観ました。すごく怖かった。席を立ったのは3人でした。終わってから「3人出た」と言うと、「その3人はトイレに行って戻っただけ」と言われ安心しました。イランには「心から出た言葉は心に染み込む」という諺があるのです。
○ 出演者について

私が現場に連れてきた人たちで、実際の季節労働者ではなく、百姓、店員、など様々な職業の素人です。イランの訛りは何を言っているのか分からなくてもちょっと聞けば、大体どこの人だか分かります。私の言っていること(標準的なペルシャ語)は出演者達に伝わっていたようですが、相手の言葉はわかりませんでした。同じ「雨よ、降らないで」も分からないときがありますが、気持ちで分かるのです。見た目でどこの人かもよく見れば大体分かります。イラン国内は、北・・・ヨーロッパ、南・・・黒人、東・・・日本・中国系、西・・・私みたいな感じ、南東・・・パキスタンぽい人 といろんな感じの人たちがいます。映画を無国籍な感じにしたかったのです。
クルド人の多いところでロケをしました。頭がおかしいくらいの人をいつもいいな、と思ってしまいます。英語を話している人はイラク人です。頭がおかしいように見えて、他の人たちよりも進んでいるのではないだろうか、と思っています。
○ 上映禁止についてどう考えていますか。

『ダンス・オブ・ダスト』は他の作品よりもメタフィジックなので上映禁止は本当にストレスになりました。イランで有名な記者の人が居て、その人は子供の頃から足が無く、走ったことがありませんでしたが、「『ダンス・オブ・ダスト』を観て走った気分を味わった、いい気分になった」と言われ、すごく嬉しかったけれども、悲しくもなりました。こうやって映画を通して、人を助けることができるのに、縛られているのが悔しかったのです。
クルド人を使っているから上映が禁止になったわけでは絶対にありません。迷信的な所があるせいで禁止になったのではないかと思います。みんながお祈りしていた手の形のお守り(迷信)を盗む、それが反体制的ととられて上映禁止になったのかもしれません。
『ダンス・オブ・ダスト』はたまたま外国人の友人達にビデオなどで見せていて、ロカルノやベネチアの映画祭から要請が来ていました。海外からのプレッシャーで1998年に映画祭に出すことができたのです。
○ ロケ地・煉瓦について

火・風・土・水の全てがある所を探して撮影しました。神はこの四つを使って全てのものを創ったからです。土と水を混ぜ、風で乾かし、火で焼いて固める煉瓦。煉瓦は濡れると強くなります。井戸に落とされたことでより強くなり、かつ浄化されました。神は人間を土から創りました。人間は死ぬと土に戻ります。その繰り返しです。イスラムの考えで命は終わらないのです。
○ 主人公(イリア)について

土からできているような感じで、声のいい男の子を探しました。Laboで「煉瓦を削ったみたいな子供」と言われ、成功したと思いました。主人公は北東の煉瓦工場で働いていた男の子でした。『ダンス・オブ・ダスト』には、子供でありながらも生活の重さで老いてみえる子が必要だったのです。
○ ヒロイン(リムア)について

ロケハンをしているときに煙突のある町に辿り着きました。私たちを見つけると、ポスターの写真のように丘にのぼって主人公を演じた女の子が「知らない人が来たー!」と叫んだようでした。私には彼女の言葉が分からないので、雰囲気でそう言ったのだと思いました。その子の顔を見ると、お風呂から出たてのような清潔感のある綺麗な顔をしていたので、非常に彼女に惹かれました。それで、この映画のストーリーがほとんど決まったのです。
○ 監督にとって『ダンス・オブ・ダスト』とは。

新しい満ち溢れる愛の物語です。姿・形ではなく、心に恋をした話。その方が心に残るのです。外見の印象はどんどん薄くなって消えてゆきますが、心は日が経つにつれ、もっともっと深くなります。誰かを好きになる、その気持ちを伝える、yes/noは関係ない。愛・尊敬で一生、生きていけるのです。その素敵な気持ち、いい匂いだけで。
『ダンス・オブ・ダスト』には内面的な力があります。ポジティブなエネルギーが得られるはずなので、何度でも見てエネルギーを手に入れて欲しいと思っています。そして見た意見を私に言って欲しいです。






2010年5月17日月曜日

映画『ベジャール、バレエ、リュミエール』



製作: 2002年 スイス
監督: マルセル・シューバッハ


革新的な創作バレエで人気を誇るモーリス・ベジャール・バレエ団の舞台「リュミエール」の舞台裏に迫ったドキュメンタリー映画。




解説
20 世紀後半、バレエに新しい光を注ぎ、その革新的な創作の数々でセンセーションを巻き起こした天才振付家モーリス・ベジャール。日本でも、映画『愛と哀しみのボレロ』(81)でジョルジュ・ドンの踊る名作「ボレロ」が大きな話題を呼んだこともあり、バレエ・ファンならずとも彼の名を知る人は多いだろう。『ベジャール、バレエ、リュミエール』は、舞台「リュミエール」公演初日までの半年間を追い、華麗な舞台の裏側にあるベジャールとダンサーたちのバレエへの愛と創造の喜び、そして苦悩を描きだす感動のドキュメンタリー作品である。バレエ、音楽、映画という3つの芸術的要素が織り成す舞台「リュミエール」。その舞台裏は、人生のすべてをバレエに注いだ、ベジャールの溢れる情熱、生き様そして、それをうけるジル・ロマンほかダンサーたちのバレエを生み出す苦しみ、それらが集まり大きな創造のエネルギーとなって華麗な舞台を作りあげていく。監督は、スイス出身のマルセル・シューバッハ。人物を中心にテレビドキュメンタリーの分野で活躍する彼は、最小限のスタッフで60時間以上のカメラを回しながらベジャールに接近。シューバッハ監督は、「リュミエール」の舞台裏を中心に77歳・天才振付家ベジャールの内面と創造の秘密に鋭く迫り、舞台上に新たなバレエが生まれる瞬間をみずみずしく捉え、ひたむきに努力し、何かに無償の愛を捧げることの美しさを丁寧に描き出していく。

舞台「リュミエール」は、“リュミエール=光”をコンセプトに、映画、そしてバッハ、バルバラやジャック・ブレルのシャンソンなどを重層的に織り交ぜ構成していく、ベジャールならではの壮大なバレエだ。2001年6月に、リヨンのフルヴィエール・ローマ円形劇場で1万5千人の観衆を前に初演された。本作では、2001年2月から初演に至るまでを撮影期間に費やしているが、ここで大きな見どころのひとつになっているのは、普段は決して見ることのできないバレエ団の舞台裏。創造の迷宮に舞い込みながら、スタジオでジル・ロマンをはじめダンサーたちによどみなく振りを付けるベジャール。その指導に熱心に耳を傾け、マジックのように彼の意図を肉体化していくダンサーたち。また、スタジオや舞台の袖で見せるダンサーたちの真剣な表情もカメラはとらえる。本番が近づく中、二転三転する衣装合わせ、悪天候のせいでたびたび中断される屋外リハーサル、楽屋でひとり静かに苦悩するベジャールの顔。新しい舞台を生み出すアーティストたちのストイックかつ情熱的な姿がそこにはある。

クラシックの楽曲にとどまらず、これまでも民族音楽からクィーンなどのロックまで、幅広い音楽を作品に使用してきたベジャール。そして、「リュミエール」の音楽に彼が選んだのは、バッハと、ベジャールの友人でもある今は亡き2人の偉大なシャンソン歌手、バルバラとジャック・ブレルだった。ベジャールは、彼らの紡ぐ繊細な言葉にインスパイアされ、“光”のバレエを見い出していく。2人の歌声にのってダンサーたちが軽やかに舞う姿は、シンプルな愛の一幕を見るような幸福感をもたらす。バッハの音楽が醸す抽象的で崇高な光と、バルバラとブレルが歌いあげる日常の光。異質の光が融合する奇跡の瞬間を、映画は巧みにすくい取っている。




この映画は、ベジャールの振り付け、舞台製作の過程を記録したドキュメンタリー映画だった。
一番すごいと思ったのが、
ベジャールのダンスを創造する過程。
ベジャールは自身は創造者ではなく、ダンサーたちが羽ばたくのを助ける存在だという。
ダンサーたち自身を見てから、テーマ、音楽と共にそのダンスの振り付けを即興的に考えていく。
その振り付けは最後まで変化していく。
だから、ベジャールは自身の振り付けをドキュメンタリーだという。


ものを作るときに、つくりながら仕上げていくという方法論がおもしろい。





2010年5月16日日曜日

映画『チャーリーとチョコレート工場』


2005年製作のアメリカ映画である。ティム・バートン監督。ファンタジー・コメディ。
ロアルド・ダールの児童文学小説『チョコレート工場の秘密』(原題は映画と同じ)が原作。
同作品の映画化は1971年製作の『夢のチョコレート工場』(メル・スチュワート監督)に次いで2度目。


出演者 フレディ・ハイモア
ジョニー・デップ


2010年5月15日土曜日

映画『WONDER UNDER WATER』

2002年ドイツ
監督:レニ・リーフェンシュタール

レニが70歳を過ぎてからスキューバ・ダイビングのライセンスを取得。2000回におよぶダイブでカメラにおさめた膨大な映像から、1年余りの時間をかけて編集したのがこの作品。


ベルタ・ヘレーネ・“レニ”・アマーリエ・リーフェンシュタール
(Berta Helene "Leni" Amalie Riefenstahl、1902年8月22日 - 2003年9月8日)
ドイツのベルリン生まれの舞踏家、女優、映画監督、写真家、世界最年長のスクーバダイバーである。
様々な映画、写真集などを残したが、中でも有名なのが、写真集『ヌバ』である。
1962年、アフリカ・スーダンのヌバ族に出会い10年間の取材を続け1973年に10カ国でその写真集『ヌバ』を出版、アーティストとしてセンセーショナルな再起を遂げる。


70歳の時に、50歳?と偽り、ライセンスを撮って、そのライセンス受領の際に本当の年齢を発表したという、大物。

2000回以上も海に潜ったというのがすごい。


さらに、この映画では、サメやウツボ、ウミヘビなどの
怖い生き物が出てくるが、
レニはそれに恐怖ではなく興味をもって撮影をしている。

なんということだ!!


初めて海で、ウツボにであってしまった時、
ウミヘビがスルルとわきを通った時、
ヒヤヒヤして、もう海は怖すぎる!と思った。


しかし、彼等は悪さをしないじゃないかという
堂々たる態度で、撮影をしていたレニは
さすが、ナチスやアフリカのヌバ族を撮っただけあって
勇者である。


それにしても、海の中の熱帯魚たちは、
美しかった。
レニの撮る映像は、原色が豊かで、
はっきりしている。
色々な生き物がこんなにおしゃれな柄なんだ!!
って驚いた。


そういうわけで、この映画は色んな発見があって面白かった。


デザイン、芸術のもとになるのは、自然界なのでは???
と本当に思う。





2010年5月14日金曜日

映画『彼女たちの舞台』

1988年フランス、スイス

ジャック・リヴェット(Jacques Rivette、1928年3月1日 - )
フランスの映画監督、脚本家、映画批評家、雑誌編集者である。『カイエ・デュ・シネマ』誌元編集長であり、ヌーヴェルヴァーグの中心的人物である。



この映画は、156 分という長編であった。
舞台俳優を目指す学校で演技を勉強している女の子たちが登場するが、
初めのシーンは、クラスに入るなり、いきなり芝居が始まり、
それが舞台だということが分からないように舞台が写らないように撮影されているから、
劇中の芝居なのか、映画の台詞なのか混合する場面があった。


劇のレッスンの最中に、芝居が
何故か、彼女たちの今の気持ちを表しているような台詞でかぶっていて
それが見せるポイントの1つだったように思う。


それにしても、フランス映画ってグダグダしているものが多い。
人生をこねくり回して、
あぁでもない、こぉでもない
って、それがほんの一瞬とかじゃなくて
永遠と3時間くらい言っているかんじ。


そういう国民なの?
と思ってしまうくらいそういうのが多い。


その言い方が違うとか、
論理的には、、、とか。


全然理解できないが、
なんかおしゃべりが好きなのかなって思っておけば
いいのだろう。


本当に変。


むしろ、あぁでもない、こぉでもない
ってやっているだけなら、ロケもほとんどいらないんじゃないかってくらい。


しかも、常に喧嘩ごしで、根暗なものが多い。

自己の内面を描いているものが多いからか。。。?






2010年5月13日木曜日

映画『UFO少年アブドラジャン』

1992年ウズベキスタン
監督: ズリフィカール・ムサコフ
出演: ラジャブ・アダシェフ, シュフラト・カユモフ, ウラジーミル・メニショフ



この映画は、とても面白かった。

なにせ、あるところ本格的で、あるところ隙だらけの、、、
楽しすぎて、作り手の心臓のバクバクする音が聴こえそうな
迫力ある映画だった。


ハリウッドのような仕上がり感が完璧なものとちがって、
くすっと笑える部分が沢山残されていて
すごく好きだった。


とくにズームの使い方がすごい。
とにかく、ズームがあんなに多用されている映画は初めて見た。


しかも、いたって役者の演技は素晴らしく
迫真の演技そのものだった。


みんなが、このストーリー、映画に真面目に取り組んでいて、
それがすごく変な感じで
面白かった。



なんか、不思議だった。


あの無茶な感じ、役者、作者の真面目な感じが最高だった。






2010年5月12日水曜日

映画『カルパテ城の謎』

1981年チェコスロバキア映画
監督:オルドリッチ・リプスキー


オルドリッチ・リプスキー
(チェコ語:オルドジフ・リプスキー、Oldřich Lipský, 1924年7月4日 - 1986年10月19日)
チェコ・ボヘミア南東部出身の映画監督。生涯を通して風刺と笑いを交えた作品を作り続けたコメディ映画の巨匠である。



ここまで、大胆に物語が崩壊しているという映画はみたことがない!
だからこそ、この監督は巨匠なのか?
そこまでして、あの終わりなのか?!


あまりにあっさりしていて、逆にすごい。


、、、なんだそれという映画。



しかし、チェコはアニメーションが有名なように
素晴らしい、美術、セット。

その美的な感じは、まるで
くるみとかナッツのような
かんじで。。。


香ばしいかんじのセットだった。


チェコのコメディーって。。。
ちょっとはまるかも。





2010年5月11日火曜日

映画『エターナル・サンシャイン』

2004年公開 アメリカ映画

監督:ミシェル・ゴンドリー
脚本:チャーリー・カウフマン
ミシェル・ゴンドリー
ピエール・ビスマス
出演者:ジム・キャリー
ケイト・ウィンスレット


ミシェル・ゴンドリー(Michel Gondry、1963年5月8日 - )
フランスの映画監督・脚本家・映像作家。ヴェルサイユ出身。


映画
La Lettre (1998、短篇)
ヒューマン・ネイチュア Human Nature (2001)
エターナル・サンシャイン Eternal Sunshine of the Spotless Mind (2004)
ブロックパーティー Dave Chapell's Block Party (2004、ドキュメンタリー)
恋愛睡眠のすすめ The Science of Sleep (仏題 La Science des rêves ) (2006)
僕らのミライへ逆回転 Be Kind Rewind (2008)
TOKYO! Tokyo! (2008、オムニバス(「インテリア・デザイン」 Interior Design を担当))


この映画、とても好き!!!!
なんか、始めみて、全然よく分かんなかったけど、
すんごい良かった!
脚本が凄かった。
見ているほうも、色んなことを考えて
「あの時のはこれ?こうなっているから、、、さっきのは、、、!」
という感じで、
100%押し付けるのではなく
50%の情報受容に対し、
50%の積極性がないと話が読めず、
目が離せなかった。

ただの恋愛映画じゃなかった。

観客参加型の
快活なテンポで進む
素晴らしい映画だった!
ミシェル・ゴンドリーすごい!!!!
















2010年5月10日月曜日

映画『EL SUR』

製作年 1983年
製作国 スペイン=仏
原題:EL SUR
監督:ヴィクトル・エリセ


ビクトル・エリセ(Víctor Erice, 1940年6月30日 - )
スペイン出身の映画監督・脚本家である。本名、Victor Erice Aras。
映画学校で学びながら、映画雑誌に批評や評論などを書いて生計を立てていた。1964年、兵役についていたのち、溝口健二の『山椒大夫』を見て大きな感銘を受け、除隊後は映画一筋に生きる道を決意する。その際、「人生を凌駕する、人生を越える映画が存在する」と悟った。68 年、オムニバス映画『対決(Los Desafios)』の一編で監督デビュー。卓抜な演出と映画への飛びぬけた感性で一躍名を知らしめた、73年の『ミツバチのささやき』が、同年サン・セバスティアン国際映画祭でグランプリ。
第二作長編『エル・スール』でも高い評価を受け、第三作長編『マルメロの陽光』で、カンヌ国際映画祭審査員賞、国際批評家連盟賞受賞。10年に1本しか撮らない(もしくは撮れない)、大変寡作な監督として知られているが、これまでの作品はすべて非常に高い評価を得ている。
最新作の『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』は、数人の監督がそれぞれ10分の短編を集めたオムニバス映画である。
幼少からジョン・フォードのファンである事でも知られる。
2006年、マドリードでアッバス・キアロスタミ監督との映像による往復書簡を展示。


この作家の絵づくりはとても凄かった。
西洋絵画のようだった。
時間の経過を表してるのがとても良かった。





2010年5月9日日曜日

映画『黒猫白猫』






1998年/ユーゴスラヴィア/130分

監督:エミール・クストリッツァ
脚本:ゴルダン・ミヒッチ
出演:フロリアン・アイディーニ、ブランカ・カティチ、スルジャン・トドロヴィッチ






エミール・クストリッツァ(Emir Kusturica、セルビア語: Емир Кустурица、1954年11月24日 - )
旧ユーゴスラビアのサラエヴォ(現ボスニア・ヘルツェゴビナ領)出身の映画監督、音楽家、俳優。クストリッツァ自身はサライェヴォ出身だが、父はセルビア人、母はモスレム人であり、自身はユーゴスラビア人であると称している。カンヌ映画祭の最高賞であるパルム・ドールを2度受賞し、世界三大映画祭すべてで監督賞に輝いている稀有な映画監督である。






最近、コメディってすごい。
ユーゴスタビアってどんな国?と思い、
この映画を見てみた。


なんだか、ユーゴスラビアのユーモア?なのか
それが全然分からず、ついて行けなかった。


いわゆるアクション映画のようなタッチではなく
地元の人たちも出演させているから
ユーゴスラビアの社会を垣間見せるような要素があったはずであるが、
ばか騒ぎをしまくって
理不尽な行動、言動で映画全体が構成されていて
気分がとても悪くなった。


国、地域、家族といったいろんな階層の社会の様子
問題が映画に詰め込まれているのだと思うけれど。


とにかく、いろんな人間の嫌な部分を
ドタバタ劇で解消し、
笑えばいいじゃんという、
表層的な、あきらめのまじった人生観理というのを
その事実をパッケージしたようだ。




アフリカとか、とにかく占領されている地域とか
「あきらめ」
を、大人たちが学んできているから
社会が変でもそのまま進行してしまう
という現象があるという。




でも、あの世界を見てしまうと、
あきらめを学ぶ気持ちが分かってしまう。


あそこで描かれていた社会がすごく嫌いだけれど、
世界には、きっとあのような社会がけっこうあるのかもしれない。




でも、この監督のユーモアとか理解できないから、
他の映画も見てみようと思う。





2010年5月8日土曜日

映画『羅生門』

1950年8月日本
監督:黒沢明
製作:箕浦甚吾
脚本:黒澤明/橋本忍
出演者 :三船敏郎/森雅之/京マチ子/志村喬


原作は芥川龍之介の短編小説『藪の中』だが、同作者の短編小説『羅生門』からも題材を借りている。


この映画は、ある事件の日の様子を、3人+1人(死んだものの声を再現する人)が回想し、
3人の話すことがまったく違い、真実は何なのか分からない様子を描いていた。

構成としては、現在あの日の様子を語る姿と、
過去である回想シーンが織り交ぜられていた。

なので、誰が本当に正しいことを行っているのかが分からず、
そこが面白かった。


回想シーンを全て演じているのも凄かった。

2010年5月7日金曜日

映画『Play Time』







1967年フランス
監督/脚本/出演:ジャック・タチ

■ジャック・タチ(Jacques Tati、1907年10月9日-1982年11月5日)
フランスの映画監督・俳優。本名はジャック・タチシェフ(Jacques Tatischeff)。パリ郊外のル・ベック生まれ。父はロシア人、母はオランダ人。
若い頃からパントマイムの道を志し、得意だったスポーツをネタにした芸でならす。1933年からミュージックホールの舞台に立ち、シドニー=ガブリエル・コレットから激賞を受けるなど人気を博した。1932年から映画の仕事も始めたが、最初に話題になったのは、ルネ・クレマンが監督し、タチは脚本と主演を担当した『左側に気をつけろ』Soigne ton gauche(1936年)という短編映画。ここでもお得意のボクシングの芸を披露している。クロード・オータン=ララの『乙女の星』Sylvie et le fantôme(1945年)と『肉体の悪魔』Le Diable au corps(1947年)に出演した後、1947年に短編映画『郵便配達の学校』 L'École des facteursを初監督する(脚本・主演も)。ここで登場した郵便配達人フランソワは次の作品に生かされることになる。


■Play Time
長編第4作は、大作『プレイタイム』Playtime(1967 年)。タチは私財をなげうって、ほぼ10年がかりで、この超大作を作り上げた。近未来のパリということで、高層ビルが林立する一つの都市をつくりあげてしまった。この作品では、ほとんどプロットというのが無く、ユロ氏と一団のアメリカ人観光客がこの街を彷徨う中、その中からフランスの古き良き伝統を発見するというコメディ映画である。当時フランス映画史上最大の製作費をかけ、しかも高画質にするため70mm磁気6チャンネルのフォーマットを使って壮大な世界を作り上げた。『プレイタイム』のオリジナルは155分の長尺であったが、彼自身の手で126分まで短縮され、しかも経理上の問題から、次々と短縮され、米国での公開ヴァージョンでは93分モノラルまでカットされ公開された。公開当時は一部の批評家には絶賛されたが、多くのマスコミから酷評を受け、興行的にも惨敗であり、その失敗は一生彼にまとわりついた。その後2002年になってようやく、カンヌ国際映画祭の歿後20周年記念上映で126分70mmヴァージョンが復元された。

『プレイタイム』製作中に資金難に陥り、製作が一時止まったとき、短編『ぼくの伯父さんの授業』Cours du soir(1967年)が撮られる。これは、ユロ氏が彼のコメディを出来の悪そうなコメディアンに伝授するという内容であった。この中には郵便配達人フランソワの姿も見られ懐かしい。

タチは彼の作品の登場人物一人一人の動きをまるでバレーの振付師のように実演して見せたという(女性だったら女装してまで!)。画面構成も俳優の動きまであくまで完全主義であったのである。


■感想
映画の音づくりが凄いという紹介で、この映画を見た。
そしたら、この映画は、本当に凄かった。
音響が面白い。
特に、このシーンが忘れられない。


あそこにいる。ここにいる。

探している人と探されている人がすれ違うのだが、
電話をしに個室に入ったり、アナウンスが邪魔したりして
音によって、観客の視点を誘導している。

鏡越しのシーンでも、
外の音が聴こえたら、ガラスがあって、見ている人は外にいるんだなとか
色んな発見があった。



すばらしい映画。






2010年5月6日木曜日

映画『アタック・ナンバーハーフ』

2000年3月タイ

監督:ヨンユット・トンコントーン

タイで実在したLGBTのバレーボールチーム “サトリーレック”(=鋼鉄の淑女)が、差別や偏見を乗り越えて大会に勝利するまでを描く実話。


タイという国が本当に、すごいと思った。
お話がすごい。
化粧をすると、一気にチームが強くなって
2セット先にとられていたのに、逆転勝利をおさめたりする。
この映画が実話に基づいているということで
本当にビックリした!!

あと、チームのおかま役の俳優さんは、
みんな、おかまかと映画を見終えるまで思っていた。
キャストの紹介を見て、初めて事実に気がつき
すごい演技力だったなと思う。

2010年5月5日水曜日

映画『パパは、出張中!』

1985年 ユーゴスラビア
監督:エミール・クストリッツァ

50年代初頭のユーゴスラヴィアを舞台に、時代の波に翻弄される一家の姿を6歳の少年の視点でユーモラスに描くE・クストリッツァ監督のカンヌ映画祭パルム・ドール受賞作!
密告の横行する監視社会と体制への痛烈な批判を乾いたユーモアとペーソスで包み込んで描いた秀作で、主人公の少年が夢遊病だという設定も巧み。名曲『ドナウ河のさざなみ』も印象的に使われている。


やはり、この人のユーモアが全然分からなかった。

2010年5月4日火曜日

映画『Human Nature』

2001年の映画 アメリカ合衆国・フランス合作


監督 ミシェル・ゴンドリー
製作 スパイク・ジョーンズ
アンソニー・ブレグマン
テッド・ホープ
チャーリー・カウフマン
脚本 チャーリー・カウフマン


特撮などの解説つきの特典映像が面白かった。



スパイク・ジョーンズの有名な動画

2010年5月3日月曜日

映画『The Knack ...and How to Get It』

1965年のイギリス映画

監督 リチャード・レスター
製作 オスカー・レヴェンスティン
脚本 チャールズ・ウッド
編集 アントニー・ギブス


キャスト

マイケル・クロフォード:コリン
リタ・トゥシンハム:ジャンシー・ジョーンズ
ドネル・ドネリー:トム
レイ・ブルックス:トレン




この映画はすごい!!
カメラ、編集、脚本、、、見所満載!

2010年5月2日日曜日

映画『イゴールの約束』

(1996年/93分/ベルギー=フランス= ルクセンブルグ=チュニジア/カラー/ヴィスタ)

監督・脚本:リュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ(Jean-Pierre Dardenne)
1996年カンヌ国際映画祭監督週間 国際芸術映画評論連盟賞
1997年度全米批評家協会 外国語映画賞
1997年度ロサンゼルス批評家協会 外国語映画賞


すばらしい映画!!
主人公の少年の父親と自分の理性との間で生じる葛藤が鮮明に描き出されている。
世界中で抱える問題を提起している。

2010年5月1日土曜日

映画『Snow White』

2002年 USA
監督: Caroline Thompson
出演: Miranda Richardson, Kristin Kreuk, Karin Konoval, Tom Irwin, Vera Farmiga


Kristin Kreukがあまりにきれいすぎた映画。
内容も忘れてしまうほどに

2010年4月20日火曜日

展示『古屋誠一 メモワール.「愛の復、共に離れて…」』

先日、写真美術館での展示会『古屋誠一 メモワール.「愛の復、共に離れて…」』を見に行ってきた。

この写真の展示会は、見ていて、
型にはなることなく
風のようにふわっとしていながら
誰か、カメラマンの古屋とその妻の生き様
気持ちが一本の線のようになっていると感じた。


まっすぐな線ではなく、ラフに描いた線のように。



どうやら、写真を撮る時、かれは
テーマを決めて撮るのではなく、
後からテーマを考えるようだ。
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多 くの写真家や写真を使って表現を志す人たちは、まず何を撮りたいのか、表現したいのかなどとテーマを決めてから撮影を始めますが、僕の場合は少し違ってい ると思います。1989年以来「メモワール」というタイトルの個展や作品集を発表し続けてきて、この春、多分その最後となる5冊目の写真集を出版します。 つまりメモワールという言葉が内に含みもつ世界が僕のこれまでの写真表現の原点にあったのは確かですが、このタイトルが先にあったのではないということで す。1985年に妻の自死という「事件」を体験してから4年後、初めて個展という形で写真を発表する機会を得たときに色々と思案したあげく最終的に「メモ ワール」という言葉に辿りつきました。
今振り返ってみると、時の経過とともにその「事実」と正面から向き合わなければならない状況に追いこまれた のだと思います。僕がもう一人の僕、自己を相手に問答を始めるために手元に残った写真やその他の記録をまず見ることから始めました。それから25 年、時間と空間を超えて生きのびつづける記憶を、その度ごとに「現在」へと呼び戻しては蘇生させ編み直してきたわけですが、回を重ねていくうちにいつしか シリーズという言葉が使われるようになりました。まず写真や経験などが先に在ったということで、シリーズやタイトルのために写真が撮られたということでは ありません。
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この展示会では、
古屋の体験を追体験するような気さえした。

2010年4月5日月曜日

展示『セバスチャン・サルガド アフリカ展』

昨年、写真美術館の 「セバスチャン・サルガド アフリカ」展に行ってきました。

1時間の待ち時間の中、ちゃんと見れないかと心配もしましたが、ゆっくり見ることができました。

このセバスチャン・サルガドという人は、カメラマンになろうとしてなったのではなく、
勤めたコーヒーの会社で、アフリカへの転勤になり、
それがきっかけで、写真を撮るようになったということでした。

30年間も撮り続けた写真が、展示されており
十分な内容の厚みを感じました。

自然のきれいな風景や動物たちから、
最後には、難民のポートレートまで。

全ての写真が白黒で写されており、
1985年の写真や2005年の写真が、
年代順ではなくバラバラに飾られていましたが、
昔の写真も最近の写真も質感がほとんど変わらず、
そこに、フィルム?の写真のすごさを感じました。


特に心に残った写真は、いくつかありますが、
難民キャンプを遠巻きにとったももので、
背景に森が控えている写真です。


光が濁りながらも淡くすーっとさしていて、
うっすらと、背景に濛々とジャングルが表れている
その様子が神秘的で、
とてもニュースで聞くような内線の厳しさとは違った
もっと心の中に、
例えようもない厳しさに囲まれてしまった
逃げ場のない状況
その混沌とした様子が湧いてきました。


悲しい風景をきれいに描いているそのギャップが苦しいというか。


写真のセンスもさることながら、
今回の写真には、もっと強い人間のメッセージが残されているように思いました。


白黒というのも、その皮膚の表情など際立たせるものがあったように思います。





アフリカという遠い場所でのことだから興味を持つ
ということだけじゃなくて、
本当にすごいメッセージ性の強い写真でした。



写真は語る



というような。

2010年4月4日日曜日

展示『束芋』

かなり前、横浜美術館の『束芋』の展示を見に行ってきた。


プロジェクターの使い方が工夫されていてすごかった。


しかし、個人的には、絵が壁にかけてある方が、映像よりもっと良かったと思う。

それに、色がないほうが面白かった。



線の太さだけで、モノの輪郭とか、重量とか、質感が伝わってくるから
それに集中できるほうが面白いのかもしれない。



色の情報が入ると、
なんだか、その部分が薄れてしまって、
すごさがなくなってしまうように感じた。




ただ、立体的な空間にプロジェクターで映像を投影することをみて
展示形式も、なんでもできるから、考えないとな。。。と、勉強になった。




ただ、最近気になったのは、、、
静止画とかを扱った映像とかを見ると、
よく目が痛くなってしまう。
動きが荒くて、コマが進んでいくフラッシュのような感覚が
目に痛いのだと思う。
なんか、船酔いみたいな感じ。
そういう作品を最近よく見るから、
もっとスムーズな映像が見たいなと思う。




そして、横浜美術館のダリの彫刻「バラの頭の女性」はとても良かった。
マグリッドも。
イッセイ・ミヤケもすばらしい。
というわけで、またシュールレアリズムの勉強もしようと思う。

2010年4月3日土曜日

展示『クリストとジャンヌ=クロード展 LIFE WORKS PROJECTS』

先日、21_21 DESIGN SIGHTで開催されている
展示『クリストとジャンヌ=クロード展 LIFE WORKS PROJECTS』を見に行った。

会場には、写真やコラージュ、オブジェを中心とした展示がされており、
また、映画の上映もされていた。

この展示でとても良かったのは、映画が上映されていたことだ。

美術館に行くと、それを書いた人、作った人がどんな人だか説明があっても、
もう、絵や写真の方が先に目に入ってしまい、読むほうに専念できなくなる。
混んでいる時だったりすると、なおさら、読もうという気にならない。

しかし、今回の展示では、映画の上映があったため、
クリストとジャンヌー=クロードがどのような人で、どのような思いで活動をしてきたのか、
鮮明に知ることができた。

街や、自然の中に、巨大なアートを仕掛ける彼等の活動からして、
いくつもの許可を得なければならない様子が分かった。
行政の許可を得るために、何年かかることか。

その年数ときたら、10年や20年、それ以上のものさえある。
しかも、まだ、許可がおりていないものもたくさんある。
ましてや、許可がおりる途中で、クリストとジャンヌ=クロード本人たちの「興味がなくなったから」そのプロジェクトをやめるということさえあるようで、
なんだか、すごい、壮大なプロジェクトだったと思う。


そこで、すごいと思ったのが、許可をとるまでの戦略。
首相にまで上り詰めるまでに、沢山の理解してもらえそうな権力者に会って、自分たちのプロジェクトを話す。
そして、さらに上の権力者を賛成させるための、戦略を教えてもらい実行する。
そうすると、分かってくるのが、首相とか上の位の人は、市民のが賛成しないのではないかという心配しているということ。
市民の賛成が得られていれば、良いのだ。ということで、2人は、街に出て行き、
ひたすらいろんな人に話しかける。
たとえ、変人扱いされても、頭が狂ってると思われても、
彼等はあきらめない。


自分のプロジェクトを実行するために、
街全体を巻き込み、議論をうながすという彼等のやり方はすごいと思った。
普通一人の人間が、そこまで多くの人間を巻き込むことができるか?やろうとするか?

そして、そのプロジェクトを実行するために、必要な莫大な資金は
彼等が全て、デッサンした絵やコラージュを売って稼ぐという。
企業などの協賛金を得るのではなく、自分たちで、必要な資金を用意することで、
完全に自分のプロジェクトができるのだという。

人間という枠を超えたようなこの活動はなんなんだ。
この現代アートがどうこうという話より、
このアートを実行した彼等。彼等の生き様が凄まじかった。

これは、一重にジャンヌ=クロードの父が将校?とかで、家柄が良かったことなくしては語れないと思うが。


こんなにすごいことをする人たちだから、現代アートの人たちだから、
もっと変わった人なのかと思ったが、
映画を見る限り彼等は、本当に賢い人たちだった。
クリストのなんでも実行する、ピュアな姿勢も
ジャンヌ=クロードのクリストを政治や金の問題から守る姿勢も
素晴らしかった。
すごく良い2人。


そして、この巨大なアート。
布を建物に付けたり、島をかこったりしているのものであるが
色がすごく美しい。
なんと、色を染色しているのだという。








なんだかすごいなと思った。


2月には、クリスト自身によるギャラリーツアーがあったというから、行きたかった。


でも、映画で、彼等の声は聞けたし、活動が良くわかった。
なにはともあれ、人にフューチャーした内容の濃い
すごく良い展示だった。