2011年2月19日土曜日

展示『ヴァレリオ・ベッルーティ』

見応え:★★★
所要時間:15~20分

作家:Valerio Berruti
1977年、ピエモンテ州アルバ生まれ。トリノ・D.A.M.S.で、美術評論を学ぶ。ヴェルドゥーノにある17 世紀に建てられた朽ち果てた教会を買い取り、修復してアトリエ兼自宅とし、1995年からそこでアーティストとして活動している。



この展示会は、作者の作品はもとより、空間を上手く使っていると感じた。

作品を活かす、展示の仕方だったと思う。

作品解説もとても分かり易く、作家のヴァレリオ・ベッルーティの作品は、
彫刻の像がもつ「イコン」をマルチに使うことによって、
新しい表現を創りだしている。
<<erimoto>> 2010年

また、それによって顔を匿名化し、
色んなものに置き換えてみることが出来るように
創造の余地を残している。
という内容だったと思う。

作品は、どれも子どもへの温かい眼差しが感じられ、
麻のキャンバスに、一筆書きのようにスッっとひかれた線が
子どもを描いている。

中でも、コンクリートで作られた子どもの像がタイルのように並んでいた作品は、
色合いが絶妙で、目を引く作品だった。

イタリア語ですが、素敵なアトリエでの インタビュー↓↓↓↓↓

2011年2月18日金曜日

展示『スパイク・ジョーンズ』:「THERE ARE MANY OF US - I’M HERE」展

「THERE ARE MANY OF US - I’M HERE」展

見応え:★★★★★
所要時間:60分

Spike Jonze








 
スパイク・ジョーンズといえば、
以前見た映画『Human Nature』にも制作で関わっていた。

今回の展示は、ショートムービーの 展示としては、とても良かった。

会場となる空間は、展示スペースとシアターの2つに分けられ、
初めの展示スペースには、映画の原画や映画中のあるシーンの写真、映画で使われていた人形の展示となっていた。



真ん中には、今回の主役となった、2体のロボットの人形が置いてあり、
壁には、映画中で登場するネズミの置物があった。

作品を見る前は、あまりこの存在に気づかなかったが、終わってみると、実際使われていた現物が置いてあることで、ロボットが生々しく感じる程であった。


ショートムービースペースでは、本編と舞台裏の映像が流れている。
本編自体は短いが、舞台裏は各スタッフにフューチャーしていて、
かなり時間も掛けている。
全ての映像を見ると、1時間弱くらいだったかと思う。
イスがないことと、所要時間と、映像の構成についてのキャプションが全くなかったので、
予想外の長さに、地面に座り込む人も出ていた。



しかし、映画の本編とその舞台裏は、期待以上の面白さであり、
ロボットの製作過程と、その中に入った役者さんの話を聴くと、
内容の面白さは倍増した。

それにしても、ロボットはとても痛かったらしい。

が、ショートムービーという普通の映画より尺の短いものを展示すること。
また、映像を見に足を運んでもらうこと。
この2点を成功させることが出来たと思う。

DIESELという場所選びも良かったし、
映画を見に足を運ぶ人が減少する中、絵コンテだけでなく、映画中に使われた実物を飾るというのも成功の鍵だと思うし、これからの見せ方の一つのモデルになると思う。

2011年2月13日日曜日

展示『シュルレアリスム展』

見応え:★★★★★
質・量:★★★★★
所要時間:120分


ーーー
先日、シュールレアリズム展に行って来た。
量・質ともに、見応え十分な展示だった。

心に残った作品が多すぎて、全てをあげたくなってしまう。

あえていうなら、
この展示をきっかけに知ることになった
 ロベルト・マッタ氏の絵がとても良かった。
展示の最後に飾ってあった。

アルベルト・ジャコメッティ《テーブル》





あとは、もちろん、ジャコメッティの彫刻。

沢山の良い作品があって、書ききることができないが、行く価値のある展示会であるということは事実。


ーーー
1924年、当時28歳の詩人アンドレ・ブルトンは、パリで「シュルレアリスム宣言」を発表、20世紀最大の芸術運動の口火を切りました。
シュルレアリスムは、偶然性、夢、幻想、神話、共同性などを鍵に、人間の無意識の世界の探求をおこない、日常的な現実を超えた新しい美と真実を発見し、生 の変革を実現しようと試みるもので、瞬く間に世界中に広まりました。シュルレアリスムの影響は、たんに文学や絵画にとどまらず、広く文化全域に、そして広 告や映画などの表現を通じて21世紀に生きる私たちの生活の細部にも及んでいます。
シュルレアリスムの中核を担った詩人や芸術家の多くにとって終の住処となったパリの中心部に位置する国立ポンピドゥセンターは、この運動についてのもっと も広範で多様なコレクションによって知られています。膨大なコレクションの中から、絵画、彫刻、オブジェ、素描、写真、映画などの作品約170点に、書籍 や雑誌などの資料を加え、豊かな広がりを持ったこの運動の全貌をつぶさに紹介する展覧会が初めて実現しました。
20世紀の芸術の流れを変えたシュルレアリスムを体験する絶好の機会といえるでしょう。
(抜粋元:http://www.nact.jp/exhibition_special/2011/surrealisme/index.html)
ーーー

2010年6月20日日曜日

映画『Man on Wire』

マン・オン・ワイヤー

監督 : James Marsh
出演 : Philippe Petit音楽 : J. Ralph (title theme)
  Michael Nyman

2008 / United Kingdom
時間90分













とても素晴らしい映画だった。

映画を見始める前は、
綱渡り師というものがどういったものなのか、
何をするのか、
ましてや、今はなきNYのワールドトレードセンターで、
どうして綱渡りをするのか、

全くすべて、何も分からなかった。

 
しかし、この映画を見進めていくと、
どうして、フィリップ・プティがこれをしなければいけなかったのか
分かった。

単なるやらせでもなんでもなく
「彼自身の気がすまなかった」ということ。

彼は、どうしてこんなことをしたのかと質問されたとき、
「理由はないさ」
と答えていたが、
そう、単に、理由はないけど、
彼がそうしないともうどうしようもないっていう
状況に追い込まれていたことだけが事実としてあって
そのためには、死も覚悟していたし、
むしろ、たとえ死んでも
それは、光栄な死に方だとさえ言っている。


ワールドトレードセンターでの「一日かぎりのパフォーマンス」となった綱渡りであるが、
映画では、それが実行されるまで長い年月、
フランスからNYへ行き、
全ての不可能ををねじ伏せようと
無理矢理にでも、作戦を実行していく姿
どんな危険をも顧みず、突っ込んで行く姿勢
仲間との決別、妙な理解者の出現
など
成功までのキセキが収められている。


中でも、感動したのは、 この男の気違いさと
それを真面目にやってのける理解者たち。

はっきり言って、成功しなかったら、
なんのお話にもならなかったであろう
いわゆる「キチガイ的発想」を
全員が真面目にやっている。


そして、ついに成功を収めた時には、
それは、本当に感動的なパフォーマンスで、
「やめときなよ、そんなこと」
なんて
だれも言わなくなってしまうような力がある。


綱渡りそのものももちろん見所としてあげられるが、
もっと、注目すべきは、
途中の沢山の出来事 が皆の人生に共通するような点を持っていること。


例えば、本当にワールドトレードセンターでの綱渡りを始めたとき、
一足踏み出したら「大丈夫、いける」という感覚が来て、
それから、約45分間、8回もその綱を行ったり来たりしたこと。
(途中、寝そべって、カモメと談笑したとは。警官の注意をよそに。)
困難なことに挑戦する時
この感触
味わったことがあるような気がする。

そして、その成功と共に、
彼は有名になり、
仲間、すなわち恋人、幼なじみとは分裂していったこと。

綱を渡った人間だけでなく、
綱を張ったり、沢山の人が、その舞台を作るのを支えていた。
しかも、全員が
「それは面白そうだ!」
という気持ちだけで。

その彼等、協力者も綱をはる相当の腕を持っていたし、
ましてや、捕まるかもしれないという心労も共にしてきた仲間だ。

しかし、この友情関係の意図は、
この成功と共に、一日にして
プツッときれた。

後に、幼なじみの綱を張った友人は、
インタビューで、涙をこらえられずに話をしていた。


大きな成功とともに、
フィリップだけが、別世界にいき、
彼等が取り残されて行く。。。
そして、彼等は、それは
「しょうがないこと」
と受け止めている。

これって、
誰もが経験することだと思う。

もし、あのときこうすれば!
とか
あのときこうしていれば!
ってすごく思うけど、

やっぱり同じ世界に生きているのに、
どうしようもなく違う世界に行ってしまったときの
見えない「ずれ」。

この映画は、ドキュメンタリーだからこそ
そういった生きて行くこと、そこで起こる事を教えてくれる。

それにしても綱渡りのシーンとエリック・サティの音楽のシーンは
時を止めたかのように美しかった。

警官が、ニュースのためにか、事情説明をしているとき、
「(この事件は誠に遺憾だといいながら)こんなパフォーマンスが見れたのはすっごいことなんだ。だって2回として起こらないこと何だから。」
と言っていた。

ここがとても好きだった。

2010年6月10日木曜日

映画『ラフマニノフ ある愛の調べ』

ラフマニノフ ある愛の調べ 


2007年 ロシア

原題 LILACS
時間 96分

監督 パーヴェル・ルンギン

出演  エフゲニー・ツィガノフ     (Sergei)
        ビクトリア・トルガノヴァ  (Natalia)
        ヴィクトリヤ・イサコヴァ  (Anna)
        ミリアム・セホン  (Marianna)
        アレクセイ・コルトネフ     (Steinway)



この映画は、全てが必ずしも、正確なラフマニノフの伝記というわけではないそうだが、
芸術家の苦悩、そして、その人生が垣間見ることができる。

ヴィルトゥオーソ(演奏の格別な技巧や能力によって完成の域に達した、超一流の演奏家を意味する言葉)として、演奏家としての仕事が多い中、作曲への熱意を持ち続けたラフマニノフ。

彼は、沢山の名曲を残しているため、当時、作曲に時間をたっぷり使うことが思うように出来なかったとは、知る余地もなかったが、
あらためて映画を見て、挫折や世間と自分の間の軋轢がある中で、
10年も書けない時期もあったが、作曲をあきらめなかったこと。

これにより、名曲が残されていることにきづいた。

当時、周りから言われる、演奏者として活動を絞ってやりなさいという
アドバイスを振り切ったり、振り切れない
ラフマニノフの葛藤の人生が描かれている。

劇中では、沢山の名曲が使用される。
中でも最後に使われる「パガニーニの主題による狂詩曲」は
感動的だ。

【ラフマニノフ】
ピアノ協奏曲 No.2
前奏曲嬰ハ短調 Op.3 No.2
前奏曲嬰ト短調 Op.32 No.12
交響曲 No.1
幻想小品集 Op.3 No.1
ヴォカリーズ Op.34 No.14
パガニーニの主題による狂詩曲
【スクリャービン】
練習曲 Op.8 No.12
【ショパン】
練習曲 Op.25 No.9


<ヴィルトゥオーソの面白い話>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヴィルトゥオーソは、またしばしば作曲家を兼ねることがある。ヴィルトゥオーソである作曲家には、19世紀のニコロ・パガニーニが典型であるように、第一に演奏家であったタイプと、バロック音楽のバッハが典型であるように、演奏衝動創作衝動に釣り合いがとれたタイプの2つがある。前者は、しばしば作曲においても自らの演奏技巧をひけらかす傾向が認められ、必ずしも作曲家として成功することができたとはいえない。

しかしながらヴィルトゥオーソの華麗な技巧や表現力は、多くの作曲家や、さまざまな楽器の演奏家を触発した。パガニーニの主題による作品は、リスト、シューマン、ブラームス、ラフマニノフ、シマノフスキ、ナタン・ミルシテイン、ルトスワフスキ、ボリス・ブラッヒャーらが手がけており、パガニーニの演奏そのものは、ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンストらの後進演奏家に啓示をもたらした。サラサーテの演奏は、サン=サーンスやブルッフに代表作を残させたほか、ブラームスとチャイコフスキーにも影響を与えている。さらに、シベリウスの協奏曲は、ブラームスとチャイコフスキーの両方に影響を受けているため、間接的にサラサーテの影響を受けたことになる。またパガニーニやリストの演奏技巧は、それぞれヴァイオリンやピアノという楽器の変革を促す大きな要因となった。

ヴィルトゥオーソは伝統的に楽譜を自由に扱う傾向があり、自作を譜面どおりに演奏しないだけでなく、しばしば他人の作品でさえ、書かれていないパッセージを演奏・挿入したり、書かれた音符を任意に飛ばすこともあった。たとえばラフマニノフのいくつかの録音は、その典型例として当時から物議を醸した。ヴィルトゥオーソは、このようにしばしば「解釈の恣意性・独断性」と結びついたため、その反動として、反ロマン主義を標榜した新古典主義音楽の時代に、「楽譜への忠実さ」が求められるようになった。

しかし、新古典主義の作曲家がバロック音楽を美化したにもかかわらず、おおむねバロック音楽の作曲家は、楽譜が自由に扱われることを前提に記譜する習慣をもっていた。バロック音楽から古典派音楽の作曲家は、たいてい何らかの楽器のヴィルトゥオーソであった。例外的に自分の意図を明確に楽譜に固定しようとしたのはバッハぐらいのものであり、ヘンデルの組曲やソナタは、演奏者による再構成がしばしば必要になると言われている。
(抜粋元:wiki
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




映画では、幼少期が回想シーンとして出てくるが、そのシーンが個人的には好きで、
全体を通して、原題ともなっているライラックの花が、今と幼少期、そして大切な人、祖国と亡命先を結ぶ、ひとつの鍵となっているのがとても素敵だ。






2010年6月9日水曜日

映画『プレシャス』



プレシャス


2009年/アメリカ映画

監督 リー・ダニエルズ
製作総指揮 オプラ・ウィンフリー
タイラー・ペリー
リサ・コルテス
トム・ヘラー
製作 リー・ダニエルズ
脚本 ジェフリー・フレッチャー
出演者 ガボレイ・シディベ
モニーク
ポーラ・パットン
マライア・キャリー
レニー・クラヴィッツ





この映画は、まるで日常で起こっていることを
そのまま見ているような気持ちにさせる映画だった。

それは、演技が自然であることと、題材がそう思わせることだったからだろうか。

見ていると、主人公のプレシャスの気持ちに自分がなってしまい、
カウンセラーなどの他人に、
家庭で起こった出来事を話さなくては成らないという
地獄を共に味わった気分である。

主人公のプレシャスことガボレイ・シディベの演技は自然で、
かつ、外観も凄くインパクトがあり、
ハーレムで本当に起こっていることを見せてくれるようだ。

先生役のポーラ・パットンは、その役所と天性の品格がマッチして
とても印象的だった。

ハーレムに行ったことがあるだけに、
そこで起こっていることの複雑さを、映画で深く知ることとなった。

どうせダメなんだというある種の諦めの言い聞かせと、
家庭内の暴力が重なった場合、
それを救うことは、かなり難しいことである。

公正な機関がない時代がとても恐ろしく感じる。

このような環境下において
子どもが前を向くことが出来なくなるのは当然であるが、
一時の苦しみを乗り越えて、先生が自身を着けて行く様子や、

母親との決別をするプレシャスの勇気が凄かった。

 映画の最後に「For Girls」みたいに、全ての女の子達へという言葉があって、
それがとても素敵だった。

2010年6月8日火曜日

映画『あの夏の子供たち』

 あの夏の子供たち

2009年/フランス
監督:ミア・ハンセン=ラブ

第62回カンヌ国際映画祭 “ある視点部門”審査員特別賞を受賞。

悲しいはずのストーリーを淡いイメージとさわやかなテンポで日常の一コマのようにかんじさせる映画。

音楽の使い方がとても特徴的。

インタビューはこちら。

2010年6月7日月曜日

映画『ALL THAT JAZZ』


1979年 アメリカ
監督:ボブ・フォッシー

一言で言えば、ボブ・フォッシー版『8 1/2』であり、「意識の流れ」を映像で表現したような作品となっている。又は、死に瀕して走馬灯のように回想される生前と臨死体験といった風である。想起されるイメージは大概煩悩や七つの大罪がらみである。ジョーは入院してからテレビを見る事が増えたが、ある番組の司会者は出演者を常に「◯年来の最も親密な大親友」と称する。何かが次第におかしくなっていき、ネットワークで自殺予告でもしたか「悩みを突き抜け歓喜に至れ」かと思うようになる。エリザベス・キューブラー=ロス的死の受容のプロセスを取り入れるなど複雑な構成の上学術的要素も盛り込まれている。ジョーは、生死の境をさまよい、その過程で何度かまぼろしのショーの世界にいる。そこにはテレビ番組の司会者も登場しジョーの親密な間柄の女性は心臓の障害を表す衣装で現れミュージカルを踊る。健康を無視して薬でごまかしているのは医者嫌いだったからだろうか。

2010年6月6日日曜日

映画『フラガール』


公開2006年9月23日
監督:李相日

邦画というのは、あまり見た事がなかったのだが、久々に見て、なんだか洋画よりも
もっと繊細な人間の心情などを捉えていて、それが演技に、そしてストーリーになっていた気がする。

正義と悪という単純なものでなくて、もっと複雑な心境というか。
紙一重の心情の揺れというか。

この映画は面白かった。

コメディータッチで色々なキャラが描かれていて、濃かった。
しずちゃんのキャラについては、少しやりすぎな気はしたが、
彼女の存在が全てを肯定できる何かがあるので、大丈夫だった。

映画で描かれていた野蛮な男性たちには、
こちらも見ていて嫌気がさす程であったが、
それを、ぶっちぎるように、先生役の松雪泰子がスパッとした演技をしていたので、
それに見ている自分が助けられた。


そして、この映画の面白さは、なんと言っても、事実に基づいたストーリーだったことである。
あの時代に、あの場所で、ハワイアンだのフラダンスだの
馬鹿げた話と思われたろうことは、想像がつく。
フィクションなんじゃない?
でも、それが本当にあったというのだから、すごい。
それ自体が面白い。

あと、気に入った箇所が1つ。
何だったか忘れたが、別のシーンから炭坑のシーンに移る時、
同じ音でつながれていたところだ。
スピード感があったし、
この場面とこの場面一緒の音?
みたいな驚きがあった。
たしか、炭坑の音を前だししていたと思う。
それでも、前のシーンにあっていた。


やはり、これが実際の話だったと思うとやはりそこが一番面白かった。



2010年6月5日土曜日

映画『TAP』

TAP

監督:ニック・キャッスル
1989年 アメリカ


ストーリーとしての内容は、
個人的には、よくある感じだと思ったが、
見所は、そこではない。


言葉では言い表せない、あの素晴らしい音楽、リズム、ダンス
そして、照明などの光の美しさ。
始めの刑務所でのシーンが一番忘れられない。


やはり、ダンスなどの身体表現をよりよく表現するものは
まさに、照明技術であると感じた。


絵の作り方のかっこよさに吸い込まれるようにして物語は進んでいき
あっという間に、終わってしまった。


音楽のジャンルの選曲、リズムの流動が素晴らしい。


こう後ろから波に突き動かされる感じ。
視覚よりも先に聴覚が世界に引き込む感じ。


なぜ、自分がこんなにも、ダンスや音楽が好きなのか
はっきり言って、よく分からないが
とても好きだ。


なにはともあれ、タップダンスと音楽の素晴らしさが目立った作品。

アメリカっっ!っていう雰囲気がものすごく溢れていて
ありきたりでなストーリーでありながら
見所満載な、こういうダンスムービーがあって
よかったなぁと思う。


これを作った人のセンス、この作品の良さに納得!!







2010年6月4日金曜日

映画『THIS IS IT』

THIS IS IT

2009年 アメリカ
監督 ケニー・オルテガ


すごく良かった映画!!

今更書くことでもないが、、、マイケルが、、、
すごい人だと
すごい才能の持ち主だと
すごい努力家なんだなと
ひたすら感動しました。

映像を研究しているものとしては、
音楽はまさに『時間芸術』として共通するもの。


あんなに時間を遊んで
みんなのテンションを異次元に持っていくことができるのは、、、
POPSというジャンルとか、音楽というジャンルとか超えて
すっごく、勉強になる!

というより尊敬します。


特に映画のシーンで良かったのは
マンハッタンを背景に
労働者たちが影のように映し出され、工事をするような休憩をするような
スウィングに乗っているシーン。


なんだ、あの絵のかっこよさは。
あの絵の色感は。


目に焼き付くような光景でした。


あぁいう、すっっっごくカッコイイというか
もうこれ以上ないという出来の『絵』とか『ダンス』とか『音楽』とか
見るだけで、すっごく幸せになります。


それに、、、
全員でモノを作っていくときの団結した姿勢。
みんながマイケルを尊敬していて
その一つ一つの改善点に納得していて。
よく、モノづくりの現場で起こる
みんなの意見がバラバラという状況がない。
マイケルの感性に惚れ込んでいるからこそ
その世界感を信じ込んで、みんなが一致団結している。

表現する人たちって正直な人が多いから
衝突も多いはずなのに
みんなを納得させてしまうほどのセンスを持っているマイケルは
ただ者ではなかったのだと、、、
理由もなくわかってしまいました。


そんなスターだったからこそ
人一倍の孤独があって、その途方もない孤独があったからこそ
あのような詩が掛けたのであり、あのような作品を残したのであり
やはり、モノづくりをする人の『孤独』、それに立ち向かった『勇気』を感じたのでした。


また、音楽における一番大切な要素は
『空白』
なのだとわかった。


Jazzでも休符こそが、人のプレッシャーを抱え込み
次への溢れ出す感情、解放へつながるモノだと実感。


マイケルが言っていた
「お客さんは、非現実を求めている。だから、非日常の世界をつくりだそう」
ということば。
映像を作るものとしても、これってすごく大切なこと。

見てもらう人に非日常の体験をしてもらえるのが、メディアを使った芸術なのだから
そこに、自分のセンスとか、努力とか、全てを注ぎ込んだものを作らなければならない。
そのための勉強も、欠かせない。


とは言いながら
子どものような天真爛漫さやただ表現が好きだと言う気持ちが
常にあったから、マイケルのような人は
新しいものがつくれたんだなぁと思う。



本当にすごい人生だったんだなと思う。



これからも発見が沢山ありそうだから
マイケルのPVとか、見ていきます!





2010年6月3日木曜日

映画『OCEANS』




2009年 フランス
監督 ジャック・ペラン/ジャック・クルーゾ


OCEANSは、いわゆる生き物のドキュメント映画かと思ったが
それは、世界中の生き物たちが、まるでディズニーのキャラクターのように
濃い個性がでている。

生き物たちの生き様に、愛着を感じ
自分たちと同じように生きているもの
海の生き物の社会が形成されているかのように感じた。

そして、この映画では
海の音、生き物の音が序盤から使われ
後に、アナウンス。それから、音楽が使われていた。

特に、海底で、かにが歩く時の音がとても心地よかった。
しかし、魚が泡を出す音や、カニとシャコの格闘のシーンなど
色んな場面の節々で
これは、誇張するための合成かなと思わせる音があった。
水中の生き物の音はどのようにして、録音するのか。
やはり、波でつくっているのか。疑問になった。


そんなことを考えながら、映画は、ダイナミックなイワシの大群や
クジラを映し出す。
動物たちの制限のない自由さが描き出される。
すると、終盤でこの映画の主題が表れる。

それは、環境問題。
人間の惨い行いが次々と描き出される。
犠牲になる動物のシーンは、人為的に処理してあるとのことで、
CGなのか。
少しCGぽかった気がする。
それにしても心が痛んだ。

初めからの9/10くらいまでは、豊かな海を描き
観客に海の生き物への同情を促し
最後の1/10くらいで、残酷な現実と生き物の豊かさを交互に描き出す。


没入してから、ガンガン心が振り回される感じがあった。


そして、ふと、ある話を思い出した。

水中カメラマンの中村征夫さんの話だ。
海でのきれいな写真。
クジラの写真が目に浮かぶだろうか。
中村征夫さんは、海でクジラとかそういった生き物の写真をとっている。
そのような写真を撮れることはすごいなとは思っていたが
彼が、まさかクジラの写真をとるときに
足の骨を折る大けがをしていたとは。
いまでもかがむのが難しいという。

こんな写真よく撮れたね!!
と、すごい写真を見ると思うのだが
その一瞬をとるために、本当に体を張っている場合があること。
これは本当に恐ろしいと思う。
自然の中で動物の写真を撮るとき、安全保証はないということだ。

中村さんはこのとき、親子のクジラの撮影をしようとしていたが
中村さんに同行していたスタッフが母クジラの神経に触ったようで
尾びれでたたかれるのを助けようとして自身も負傷したという。
本当に恐ろしい世界だ。


しかし、彼は、そんなことのない、人間に気を使う別の優しい母クジラの話もしていたけれど。


というわけで、この映画も沢山の命がかけられてつくられたのではないかと思う。
本当にすごいことだ。
このように、命をかけて撮影に行くカメラマンの方を本当に尊敬するし
またその方の家族の心配を思ふ。





2010年6月2日水曜日

映画『ガンジー』

ガンジー


1982年公開のイギリスとインドとの合作映画
監督:リチャード・アッテンボロー
脚本:ジョン・ブライリー
音楽:ラヴィ・シャンカール
ジョージ・フェントン
*第55回アカデミー賞 作品賞受賞作品。

ガンジー役にベン・キングスレー


ガンジーは、小学生の時に伝記でを読んでおり、とても感動した。
この映画は、とても質が高く、アカデミー賞になった理由が分かった。

映像も音楽も衣装もすばらしく良かった。
インドの素敵な部分が見れた。

ガンジーの生き様はすごすぎて書く事ができない。
でも、ひとつ言うなら、、、
暴動をやめさせるために、断食して、自分の命を掛けていたところが凄かった。
みんなガンジーを慕っていたから、ガンジーの死に向かう姿勢を知ると暴動をやめるということだ。
なんていう人だったのだろう。
どうしてそんなに強い人になれたのだろう。


映画として超大作だったし、時代に残る人の凄い超人的な生き方が面白かった。


また、群衆に対して、呼びかけを行う際には、
遠くの丘の上まで人、人、人で、
そんなに多くの人はどうやって?
タイタニックのようにCG?
ではなく、
本当に集まってくれたインドの人々だという。
ガンジー役のベン・キングスレーが言うには、
ガンジー役をしていると、
どんなに本物のガンジーがインドの人に慕われていたかが分かるという。

それ程までに、
人々の心に残る偉大な人だったのだろう。

映画として、この作品はまた見たいと思うものだった。





2010年6月1日火曜日

映画『ぼくの伯父さん』

ぼくの伯父さん


1952仏
監督:脚本: ジャック・タチ
脚本:ジャック・ラグランジェ
撮影:ジャン・ブールゴワン
美術:アンリ・シュミット 
出演:ジャック・タチ/ジャン・ピエール・ゾラ/アラン・ペクール/ドミニク・マリ


この映画は、軽いタッチの曲とともに、ひょうきんなおじさんが出てきて、
近代的な階級の家と、下町のアパートを行ったり来たりする、
全体的にコメディーな映画だった。

色彩や、カメラのアングルが良かった。
中でも気に入っているシーンは、アパートの自分の部屋までたどり着くまでのシーンで、
そのアパートのつくりが面白いから、下のガラス窓から足が見えたり、
どこに行くんだろう?と目が離せなかった。

子どものいたずらや、家族が見栄をはる姿や、
失敗を隠そうとする姿が描き出されており、
それは、完璧でない人間の姿を、オモシロおかしく描いているようだった。


だから、劇的なストーリー展開というのはなく、
ただ、『こういうことあるよねっ』とクスクス笑えるような作品だった。


それにしても、未来を描く映画というのは、面白い。
この映画は1952年に作られたらしいが、未来の生活を真剣に予測している。

ボタン1つで引き出しが開いて、コップが出てきたり、
そこまで、サイバーチックなのか?というほど、未来に対しての予測がなんだかおかしい。

半分当たっていて、半分はずれているような。


ただ、このような映画は、実際の街でロケが行われているわけで、
いくら1つの一軒家をサイバーチックにしても、どこか、未来的ではない
むしろ昔の雰囲気がして、そこになんだか、安堵感を持ってしまったりする自分がまたおかしい。


この映画を見て、人間観察をして、その人間のおかしさをポジティブに笑ってしまう
そんな経験をした。






2010年5月31日月曜日

映画『男と女のいる舗道』

女と男のいる舗道 [DVD]


1962年公開
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
撮影監督 : ラウール・クタール

主演:アンナ・カリーナ


カメラの切り抜きかた。
状況説明がすごくよかった。
出だしもかっこいい。
2人がけんかしているが後ろ姿で、
たまに鏡ごしに2人の顔が交互に見える。
カフェのシーンも良かった。
人間観察に基づいているというのが良く分かるくらい
人間の色々な複雑な心境のようなものが表れていた。

映画『勝手にしやがれ』





1960年公開
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール

ゴダールの長編デビュー作。
主演はジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグ。

乱暴なストーリーにそれなりの結末。
でも、それが見所なのではなくて
人間のそういう心理の部分なのか。
人間の弱い心が全面に描かれていたように思う。
とくに、ドライブしながらけんかをするシーンが面白かった。
同じような語り節で、短いカットをいくつもつなげる。
場所がいちいち変わるので、どれだけ遠くにくるまでけんかしていたのか、その長さというのが分かる。






2010年5月30日日曜日

映画『華氏451』

フランソワ・トリュフォー監督による、1966年のイギリスの長編SF映画である。
フランソワ・トリュフォー監督は、今日ではヌーヴェルヴァーグの一人として知られている。

<ヌーヴェルヴァーグ>
1950年代末に始まったフランスにおける映画運動のこと。
広義においては、映画制作会社における助監督等の下積み経験無しにデビューした若い監督達による、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などの手法的な共通性のある一連の作家・作品を指す。
狭義においては、映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の主宰者であったアンドレ・バザンの薫陶を受け、同誌で映画批評家として活躍していた若い作家達(カイエ派もしくは右岸派)およびその作品のことを指す。モンパルナス界隈で集っていた者で、主にドキュメンタリー(記録映画)を出自とする面々をことを左岸派と呼び、一般的にはこの両派を合わせてヌーヴェルヴァーグと総称することが多い。

ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)と言う呼称自体は、1957年10月3日付のフランスの週刊誌『レクスプレス』誌にフランソワーズ・ジローが「新しい波来る!」と書き、そのキャッチコピーをその表紙に掲げたことが起源とされる。
しかし、この言葉が用いられる以前から後にヌーヴェルヴァーグ的動向は既に始まっていた。
トリュフォーは1954年1月号の『カイエ』誌に掲載した映画評論「フランス映画のある種の傾向」において、当時のフランス映画界における主流であった *詩的リアリズムの諸作品に対し同様の観点から痛烈な批判を行なった。その論法の激しさからトリュフォーは「フランス映画の墓掘り人」と恐れられたが、これはヌーヴェルヴァーグの事実上の宣言文となった。

一般的にはトリュフォーやルイ・マルなどが過激な論陣を張った1967年のカンヌ映画祭における粉砕事件までを「ヌーヴェルヴァーグの時代」と捉えるのが妥当である。
しかし、即興演出、同時録音、ロケ中心を手法的な特徴とし、瑞々しさや生々しさを作品の特色とする「ヌーヴェルヴァーグの精神」はその後も生き続け、ジャン・ユスターシュやフィリップ・ガレル、ジャン=クロード・ブリソー、ジャック・ドワイヨン、クロード・ミレールらは「カンヌ以降(もしくはほぼ同時期)」に登場し評価を得た作家だが、いずれも「遅れてきたヌーヴェルヴァーグ」との評価を得た。

*(詩的リアリズム)
映画批評家・サドゥールによって提唱された一部のフランス映画の定義。
表現手法としては、大型セットにおけるスタジオ撮影を基本とし、遠近などに関して誇張を行なう場合が多い。


この映画を見て、私は、始めにこの映画のカメラワークがとても好きだと気に入った。
そして、建築や衣装などのデザインがすごく洗練されていて、面白かった。
ストーリーとしては、やや残酷で、過酷であった。
しかし、最後の『本を暗記なさい。そして、その本を焼きなさい。暗記すれば、私たちから本は奪えないのだから』というような台詞を言うことがある。

また、テレビのニュースで主人公、モンターグが追跡されているシーンで、
実際にモンターグが捕まっていないのに、
人々は、すぐ結果を見たい、落ち着きたいのだから、
わざと嘘のビデオ、つまり、モンターグがしとめられる映像をニュースでながしている。
これも、人間の集団心理。を誇張して、
映画の中のコメディー的な部分としてだしていると思った。

全体的に、この作品が気に入った。





2010年5月29日土曜日

映画『AVATAR』

監督・製作・脚本 ジェームズ・キャメロン
音楽 ジェームズ・ホーナー
公開 2009年12月
*構想14年、製作に4年以上の歳月を費やした。


まず、3Dメガネを掛けたときにビックリした。
今までの映画とは違って、奥行きがある。
まるでそこで事が起こっているようで、音響の大迫力とともにその世界が包み込んでしまうようだった。


案の定、その感動は、予告編の3Dのアリスで、起こってしまったのだが。


ストーリーとしては、主人公がAVATARの中の自分と実際の自分のどちらが本当の自分か分からなくなってしまい、人間の自分を捨ててしまうという、ところが面白かった。

しかし、後の部分は3Dの迫力を魅せるのが第一目的だったのか、ほとんど戦いのシーンで構成されていて、マンネリ化していたようにも思う。
正義と悪が戦い、正義が勝利するというような、いつもどおりの展開で、戦えば良いというような、姿勢が感じられた。



しかし、3Dは本当にすごかった。



音楽が大ボリュームで流れているので、怖さも緊張も、感動も
振動として大迫力で狭ってくる。
それ以外のものが何も考えられないようになる。
耳を塞ぐと、どんな怖いシーンもそれほどまで怖くなくなる。
やはり音の威力は凄いんだなと思った。
その音楽といえば、、、わりと聞いた事のあるような民族音楽のようであったりして
未来の話なのに、昔懐かしい感じがした。
AVATARが未来の生き物なら、もっと、地球にないような音楽のほうが良かったのでは?と思った。


そうはいっても、迫力、世界観は凄かった。


ただ、3時間ほどの時間のうちに
3Dに慣れてしまう自分がいて驚いた。
なんという順応力。
人間って恐ろしいなと思った。
この調子でいったら、3Dの時代も数年で過ぎて、
また新しい次元に行ってしまうのか…??


あと、凄いのが興行収入。
軽く、制作費の10倍は越えてしまう。
映画ってすごい!!


また、アリスとか、もっとファンタジーにせめてくるだろうから、
見に行ってみたいと思う。





2010年5月28日金曜日

映画『マリア・カラスの真実』



2007年 フランス/ギリシャ/オーストラリア

監督:Philippe Kohly
脚本:Philippe Kohly


出演 マリア・カラス | Maria Callas
フィリップ・フォール | Philippe Faure
ジャン・コクトー | Jean Cocteau
ジュゼッペ・ディ・ステファノ | Giuseppe Di Stefano
ティトー・ゴビ | Tito Gobbi
グレイス・ケリー | Grace Kelly
ジャクリーン・ケネディ | Jacqueline Kennedy
ミシェル・ルグラン | Michel Legrand
エルザ・マクスウェル | Elsa Maxwell
Aristotle Onassis
ピエル・パオロ・パゾリーニ | Pier Paolo Pasolini
Georges Prêtre
Lee Radziwill
トゥリオ・セラフィン | Tullio Serafin
ルキノ・ヴィスコンティ | Luchino Visconti
フランコ・ゼフィレッリ | Franco Zeffirelli




2010年5月27日木曜日

映画『MODE IN FRANCE』



MODE IN FRANCE 1984
監督:ウィリアム・クライン


モードの教科書!シネマのなかの80'Sパリコレクション

ゲンスブールによるフランス国家とともにデザイナーが勢揃いするショーにはじまり、保育園児たちの仮想ショー、20世紀のモード史を振り返るシーケンスと続き、本編に…。
ゴルチェとのコラボレーションは200人のパリジャンに服を着せて街に飛びださせる疑似ドキュメンタリー。
シャンタル・トーマスの「告白」では、白箱に押し込められたモデルが真実を暴露。
ケンゾーの「映画モード」は、フレッド・アステア風な刑事長とモデルによる探偵映画仕立て。
モード界が最も燃えていた'80sのパリを舞台に、ファッション産業に支えられたフランスと、ビック・デザイナーに群がるファッション中毒者たちを12篇の様々なスタイルで描き出す。




この映画は、12篇のそれぞれの映画から成っていて、
それぞれのデザイナーごとに映画のテーマが違っていて面白かった。
特に、シャンタル・トーマスの「告白」が良かった。
白箱に押し込められたモデルが真実を暴露する。
映画といえども、これはインタビューそのもので
モデルという喋らない、普通の人間とは、見かけ的にも一線を期しているような存在の人が
自分の生い立ちや、負い目、もっとポジティブなこと
恋愛関係、男について語っていて
見かけからみる華やかな感じだけじゃなくて
というか、それとはかけ離れたような実態というのが見えてきて
ビックリした。

仕事に忙しい彼女たちは、夜遅く仕事から帰宅したり
自分たちが寂しいときに隣りにいてくれるような男性が結局必要な場合が多いらしく
仕事をしていない男性を養うということも少なくないとか。

まさか。という事実だった。


あと、良かったのは
服が人をつくるというような言葉ではじまり
幼稚園児が服を選び
顔にペインティングする出だし。


後に、大人が出てきて
それなりのファッション、モードの世界が写るのだが
その世界で行われていることの原点は
この子どもたちが服を選んで、何かになりきったり、色々おめかししている
その様子と一緒ということ。

凄かった。


さらに、ファッションの歴史が面白かった。
昔の一人で着ることが出来なかったような重厚な服の時代から
シャネルが登場して、身軽になって、、、
というように、現代のところまで。
3人の人が早送りでどんどん変化していって面白かった。


このような、大雑把な映画もかっこいい。

とくに、街にゲリラ的に出動したり
実験的で、、、
型にはまっていないからいいのかな。