2010年6月20日日曜日

映画『Man on Wire』

マン・オン・ワイヤー

監督 : James Marsh
出演 : Philippe Petit音楽 : J. Ralph (title theme)
  Michael Nyman

2008 / United Kingdom
時間90分













とても素晴らしい映画だった。

映画を見始める前は、
綱渡り師というものがどういったものなのか、
何をするのか、
ましてや、今はなきNYのワールドトレードセンターで、
どうして綱渡りをするのか、

全くすべて、何も分からなかった。

 
しかし、この映画を見進めていくと、
どうして、フィリップ・プティがこれをしなければいけなかったのか
分かった。

単なるやらせでもなんでもなく
「彼自身の気がすまなかった」ということ。

彼は、どうしてこんなことをしたのかと質問されたとき、
「理由はないさ」
と答えていたが、
そう、単に、理由はないけど、
彼がそうしないともうどうしようもないっていう
状況に追い込まれていたことだけが事実としてあって
そのためには、死も覚悟していたし、
むしろ、たとえ死んでも
それは、光栄な死に方だとさえ言っている。


ワールドトレードセンターでの「一日かぎりのパフォーマンス」となった綱渡りであるが、
映画では、それが実行されるまで長い年月、
フランスからNYへ行き、
全ての不可能ををねじ伏せようと
無理矢理にでも、作戦を実行していく姿
どんな危険をも顧みず、突っ込んで行く姿勢
仲間との決別、妙な理解者の出現
など
成功までのキセキが収められている。


中でも、感動したのは、 この男の気違いさと
それを真面目にやってのける理解者たち。

はっきり言って、成功しなかったら、
なんのお話にもならなかったであろう
いわゆる「キチガイ的発想」を
全員が真面目にやっている。


そして、ついに成功を収めた時には、
それは、本当に感動的なパフォーマンスで、
「やめときなよ、そんなこと」
なんて
だれも言わなくなってしまうような力がある。


綱渡りそのものももちろん見所としてあげられるが、
もっと、注目すべきは、
途中の沢山の出来事 が皆の人生に共通するような点を持っていること。


例えば、本当にワールドトレードセンターでの綱渡りを始めたとき、
一足踏み出したら「大丈夫、いける」という感覚が来て、
それから、約45分間、8回もその綱を行ったり来たりしたこと。
(途中、寝そべって、カモメと談笑したとは。警官の注意をよそに。)
困難なことに挑戦する時
この感触
味わったことがあるような気がする。

そして、その成功と共に、
彼は有名になり、
仲間、すなわち恋人、幼なじみとは分裂していったこと。

綱を渡った人間だけでなく、
綱を張ったり、沢山の人が、その舞台を作るのを支えていた。
しかも、全員が
「それは面白そうだ!」
という気持ちだけで。

その彼等、協力者も綱をはる相当の腕を持っていたし、
ましてや、捕まるかもしれないという心労も共にしてきた仲間だ。

しかし、この友情関係の意図は、
この成功と共に、一日にして
プツッときれた。

後に、幼なじみの綱を張った友人は、
インタビューで、涙をこらえられずに話をしていた。


大きな成功とともに、
フィリップだけが、別世界にいき、
彼等が取り残されて行く。。。
そして、彼等は、それは
「しょうがないこと」
と受け止めている。

これって、
誰もが経験することだと思う。

もし、あのときこうすれば!
とか
あのときこうしていれば!
ってすごく思うけど、

やっぱり同じ世界に生きているのに、
どうしようもなく違う世界に行ってしまったときの
見えない「ずれ」。

この映画は、ドキュメンタリーだからこそ
そういった生きて行くこと、そこで起こる事を教えてくれる。

それにしても綱渡りのシーンとエリック・サティの音楽のシーンは
時を止めたかのように美しかった。

警官が、ニュースのためにか、事情説明をしているとき、
「(この事件は誠に遺憾だといいながら)こんなパフォーマンスが見れたのはすっごいことなんだ。だって2回として起こらないこと何だから。」
と言っていた。

ここがとても好きだった。

2010年6月10日木曜日

映画『ラフマニノフ ある愛の調べ』

ラフマニノフ ある愛の調べ 


2007年 ロシア

原題 LILACS
時間 96分

監督 パーヴェル・ルンギン

出演  エフゲニー・ツィガノフ     (Sergei)
        ビクトリア・トルガノヴァ  (Natalia)
        ヴィクトリヤ・イサコヴァ  (Anna)
        ミリアム・セホン  (Marianna)
        アレクセイ・コルトネフ     (Steinway)



この映画は、全てが必ずしも、正確なラフマニノフの伝記というわけではないそうだが、
芸術家の苦悩、そして、その人生が垣間見ることができる。

ヴィルトゥオーソ(演奏の格別な技巧や能力によって完成の域に達した、超一流の演奏家を意味する言葉)として、演奏家としての仕事が多い中、作曲への熱意を持ち続けたラフマニノフ。

彼は、沢山の名曲を残しているため、当時、作曲に時間をたっぷり使うことが思うように出来なかったとは、知る余地もなかったが、
あらためて映画を見て、挫折や世間と自分の間の軋轢がある中で、
10年も書けない時期もあったが、作曲をあきらめなかったこと。

これにより、名曲が残されていることにきづいた。

当時、周りから言われる、演奏者として活動を絞ってやりなさいという
アドバイスを振り切ったり、振り切れない
ラフマニノフの葛藤の人生が描かれている。

劇中では、沢山の名曲が使用される。
中でも最後に使われる「パガニーニの主題による狂詩曲」は
感動的だ。

【ラフマニノフ】
ピアノ協奏曲 No.2
前奏曲嬰ハ短調 Op.3 No.2
前奏曲嬰ト短調 Op.32 No.12
交響曲 No.1
幻想小品集 Op.3 No.1
ヴォカリーズ Op.34 No.14
パガニーニの主題による狂詩曲
【スクリャービン】
練習曲 Op.8 No.12
【ショパン】
練習曲 Op.25 No.9


<ヴィルトゥオーソの面白い話>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヴィルトゥオーソは、またしばしば作曲家を兼ねることがある。ヴィルトゥオーソである作曲家には、19世紀のニコロ・パガニーニが典型であるように、第一に演奏家であったタイプと、バロック音楽のバッハが典型であるように、演奏衝動創作衝動に釣り合いがとれたタイプの2つがある。前者は、しばしば作曲においても自らの演奏技巧をひけらかす傾向が認められ、必ずしも作曲家として成功することができたとはいえない。

しかしながらヴィルトゥオーソの華麗な技巧や表現力は、多くの作曲家や、さまざまな楽器の演奏家を触発した。パガニーニの主題による作品は、リスト、シューマン、ブラームス、ラフマニノフ、シマノフスキ、ナタン・ミルシテイン、ルトスワフスキ、ボリス・ブラッヒャーらが手がけており、パガニーニの演奏そのものは、ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンストらの後進演奏家に啓示をもたらした。サラサーテの演奏は、サン=サーンスやブルッフに代表作を残させたほか、ブラームスとチャイコフスキーにも影響を与えている。さらに、シベリウスの協奏曲は、ブラームスとチャイコフスキーの両方に影響を受けているため、間接的にサラサーテの影響を受けたことになる。またパガニーニやリストの演奏技巧は、それぞれヴァイオリンやピアノという楽器の変革を促す大きな要因となった。

ヴィルトゥオーソは伝統的に楽譜を自由に扱う傾向があり、自作を譜面どおりに演奏しないだけでなく、しばしば他人の作品でさえ、書かれていないパッセージを演奏・挿入したり、書かれた音符を任意に飛ばすこともあった。たとえばラフマニノフのいくつかの録音は、その典型例として当時から物議を醸した。ヴィルトゥオーソは、このようにしばしば「解釈の恣意性・独断性」と結びついたため、その反動として、反ロマン主義を標榜した新古典主義音楽の時代に、「楽譜への忠実さ」が求められるようになった。

しかし、新古典主義の作曲家がバロック音楽を美化したにもかかわらず、おおむねバロック音楽の作曲家は、楽譜が自由に扱われることを前提に記譜する習慣をもっていた。バロック音楽から古典派音楽の作曲家は、たいてい何らかの楽器のヴィルトゥオーソであった。例外的に自分の意図を明確に楽譜に固定しようとしたのはバッハぐらいのものであり、ヘンデルの組曲やソナタは、演奏者による再構成がしばしば必要になると言われている。
(抜粋元:wiki
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映画では、幼少期が回想シーンとして出てくるが、そのシーンが個人的には好きで、
全体を通して、原題ともなっているライラックの花が、今と幼少期、そして大切な人、祖国と亡命先を結ぶ、ひとつの鍵となっているのがとても素敵だ。






2010年6月9日水曜日

映画『プレシャス』



プレシャス


2009年/アメリカ映画

監督 リー・ダニエルズ
製作総指揮 オプラ・ウィンフリー
タイラー・ペリー
リサ・コルテス
トム・ヘラー
製作 リー・ダニエルズ
脚本 ジェフリー・フレッチャー
出演者 ガボレイ・シディベ
モニーク
ポーラ・パットン
マライア・キャリー
レニー・クラヴィッツ





この映画は、まるで日常で起こっていることを
そのまま見ているような気持ちにさせる映画だった。

それは、演技が自然であることと、題材がそう思わせることだったからだろうか。

見ていると、主人公のプレシャスの気持ちに自分がなってしまい、
カウンセラーなどの他人に、
家庭で起こった出来事を話さなくては成らないという
地獄を共に味わった気分である。

主人公のプレシャスことガボレイ・シディベの演技は自然で、
かつ、外観も凄くインパクトがあり、
ハーレムで本当に起こっていることを見せてくれるようだ。

先生役のポーラ・パットンは、その役所と天性の品格がマッチして
とても印象的だった。

ハーレムに行ったことがあるだけに、
そこで起こっていることの複雑さを、映画で深く知ることとなった。

どうせダメなんだというある種の諦めの言い聞かせと、
家庭内の暴力が重なった場合、
それを救うことは、かなり難しいことである。

公正な機関がない時代がとても恐ろしく感じる。

このような環境下において
子どもが前を向くことが出来なくなるのは当然であるが、
一時の苦しみを乗り越えて、先生が自身を着けて行く様子や、

母親との決別をするプレシャスの勇気が凄かった。

 映画の最後に「For Girls」みたいに、全ての女の子達へという言葉があって、
それがとても素敵だった。

2010年6月8日火曜日

映画『あの夏の子供たち』

 あの夏の子供たち

2009年/フランス
監督:ミア・ハンセン=ラブ

第62回カンヌ国際映画祭 “ある視点部門”審査員特別賞を受賞。

悲しいはずのストーリーを淡いイメージとさわやかなテンポで日常の一コマのようにかんじさせる映画。

音楽の使い方がとても特徴的。

インタビューはこちら。

2010年6月7日月曜日

映画『ALL THAT JAZZ』


1979年 アメリカ
監督:ボブ・フォッシー

一言で言えば、ボブ・フォッシー版『8 1/2』であり、「意識の流れ」を映像で表現したような作品となっている。又は、死に瀕して走馬灯のように回想される生前と臨死体験といった風である。想起されるイメージは大概煩悩や七つの大罪がらみである。ジョーは入院してからテレビを見る事が増えたが、ある番組の司会者は出演者を常に「◯年来の最も親密な大親友」と称する。何かが次第におかしくなっていき、ネットワークで自殺予告でもしたか「悩みを突き抜け歓喜に至れ」かと思うようになる。エリザベス・キューブラー=ロス的死の受容のプロセスを取り入れるなど複雑な構成の上学術的要素も盛り込まれている。ジョーは、生死の境をさまよい、その過程で何度かまぼろしのショーの世界にいる。そこにはテレビ番組の司会者も登場しジョーの親密な間柄の女性は心臓の障害を表す衣装で現れミュージカルを踊る。健康を無視して薬でごまかしているのは医者嫌いだったからだろうか。

2010年6月6日日曜日

映画『フラガール』


公開2006年9月23日
監督:李相日

邦画というのは、あまり見た事がなかったのだが、久々に見て、なんだか洋画よりも
もっと繊細な人間の心情などを捉えていて、それが演技に、そしてストーリーになっていた気がする。

正義と悪という単純なものでなくて、もっと複雑な心境というか。
紙一重の心情の揺れというか。

この映画は面白かった。

コメディータッチで色々なキャラが描かれていて、濃かった。
しずちゃんのキャラについては、少しやりすぎな気はしたが、
彼女の存在が全てを肯定できる何かがあるので、大丈夫だった。

映画で描かれていた野蛮な男性たちには、
こちらも見ていて嫌気がさす程であったが、
それを、ぶっちぎるように、先生役の松雪泰子がスパッとした演技をしていたので、
それに見ている自分が助けられた。


そして、この映画の面白さは、なんと言っても、事実に基づいたストーリーだったことである。
あの時代に、あの場所で、ハワイアンだのフラダンスだの
馬鹿げた話と思われたろうことは、想像がつく。
フィクションなんじゃない?
でも、それが本当にあったというのだから、すごい。
それ自体が面白い。

あと、気に入った箇所が1つ。
何だったか忘れたが、別のシーンから炭坑のシーンに移る時、
同じ音でつながれていたところだ。
スピード感があったし、
この場面とこの場面一緒の音?
みたいな驚きがあった。
たしか、炭坑の音を前だししていたと思う。
それでも、前のシーンにあっていた。


やはり、これが実際の話だったと思うとやはりそこが一番面白かった。



2010年6月5日土曜日

映画『TAP』

TAP

監督:ニック・キャッスル
1989年 アメリカ


ストーリーとしての内容は、
個人的には、よくある感じだと思ったが、
見所は、そこではない。


言葉では言い表せない、あの素晴らしい音楽、リズム、ダンス
そして、照明などの光の美しさ。
始めの刑務所でのシーンが一番忘れられない。


やはり、ダンスなどの身体表現をよりよく表現するものは
まさに、照明技術であると感じた。


絵の作り方のかっこよさに吸い込まれるようにして物語は進んでいき
あっという間に、終わってしまった。


音楽のジャンルの選曲、リズムの流動が素晴らしい。


こう後ろから波に突き動かされる感じ。
視覚よりも先に聴覚が世界に引き込む感じ。


なぜ、自分がこんなにも、ダンスや音楽が好きなのか
はっきり言って、よく分からないが
とても好きだ。


なにはともあれ、タップダンスと音楽の素晴らしさが目立った作品。

アメリカっっ!っていう雰囲気がものすごく溢れていて
ありきたりでなストーリーでありながら
見所満載な、こういうダンスムービーがあって
よかったなぁと思う。


これを作った人のセンス、この作品の良さに納得!!







2010年6月4日金曜日

映画『THIS IS IT』

THIS IS IT

2009年 アメリカ
監督 ケニー・オルテガ


すごく良かった映画!!

今更書くことでもないが、、、マイケルが、、、
すごい人だと
すごい才能の持ち主だと
すごい努力家なんだなと
ひたすら感動しました。

映像を研究しているものとしては、
音楽はまさに『時間芸術』として共通するもの。


あんなに時間を遊んで
みんなのテンションを異次元に持っていくことができるのは、、、
POPSというジャンルとか、音楽というジャンルとか超えて
すっごく、勉強になる!

というより尊敬します。


特に映画のシーンで良かったのは
マンハッタンを背景に
労働者たちが影のように映し出され、工事をするような休憩をするような
スウィングに乗っているシーン。


なんだ、あの絵のかっこよさは。
あの絵の色感は。


目に焼き付くような光景でした。


あぁいう、すっっっごくカッコイイというか
もうこれ以上ないという出来の『絵』とか『ダンス』とか『音楽』とか
見るだけで、すっごく幸せになります。


それに、、、
全員でモノを作っていくときの団結した姿勢。
みんながマイケルを尊敬していて
その一つ一つの改善点に納得していて。
よく、モノづくりの現場で起こる
みんなの意見がバラバラという状況がない。
マイケルの感性に惚れ込んでいるからこそ
その世界感を信じ込んで、みんなが一致団結している。

表現する人たちって正直な人が多いから
衝突も多いはずなのに
みんなを納得させてしまうほどのセンスを持っているマイケルは
ただ者ではなかったのだと、、、
理由もなくわかってしまいました。


そんなスターだったからこそ
人一倍の孤独があって、その途方もない孤独があったからこそ
あのような詩が掛けたのであり、あのような作品を残したのであり
やはり、モノづくりをする人の『孤独』、それに立ち向かった『勇気』を感じたのでした。


また、音楽における一番大切な要素は
『空白』
なのだとわかった。


Jazzでも休符こそが、人のプレッシャーを抱え込み
次への溢れ出す感情、解放へつながるモノだと実感。


マイケルが言っていた
「お客さんは、非現実を求めている。だから、非日常の世界をつくりだそう」
ということば。
映像を作るものとしても、これってすごく大切なこと。

見てもらう人に非日常の体験をしてもらえるのが、メディアを使った芸術なのだから
そこに、自分のセンスとか、努力とか、全てを注ぎ込んだものを作らなければならない。
そのための勉強も、欠かせない。


とは言いながら
子どものような天真爛漫さやただ表現が好きだと言う気持ちが
常にあったから、マイケルのような人は
新しいものがつくれたんだなぁと思う。



本当にすごい人生だったんだなと思う。



これからも発見が沢山ありそうだから
マイケルのPVとか、見ていきます!





2010年6月3日木曜日

映画『OCEANS』




2009年 フランス
監督 ジャック・ペラン/ジャック・クルーゾ


OCEANSは、いわゆる生き物のドキュメント映画かと思ったが
それは、世界中の生き物たちが、まるでディズニーのキャラクターのように
濃い個性がでている。

生き物たちの生き様に、愛着を感じ
自分たちと同じように生きているもの
海の生き物の社会が形成されているかのように感じた。

そして、この映画では
海の音、生き物の音が序盤から使われ
後に、アナウンス。それから、音楽が使われていた。

特に、海底で、かにが歩く時の音がとても心地よかった。
しかし、魚が泡を出す音や、カニとシャコの格闘のシーンなど
色んな場面の節々で
これは、誇張するための合成かなと思わせる音があった。
水中の生き物の音はどのようにして、録音するのか。
やはり、波でつくっているのか。疑問になった。


そんなことを考えながら、映画は、ダイナミックなイワシの大群や
クジラを映し出す。
動物たちの制限のない自由さが描き出される。
すると、終盤でこの映画の主題が表れる。

それは、環境問題。
人間の惨い行いが次々と描き出される。
犠牲になる動物のシーンは、人為的に処理してあるとのことで、
CGなのか。
少しCGぽかった気がする。
それにしても心が痛んだ。

初めからの9/10くらいまでは、豊かな海を描き
観客に海の生き物への同情を促し
最後の1/10くらいで、残酷な現実と生き物の豊かさを交互に描き出す。


没入してから、ガンガン心が振り回される感じがあった。


そして、ふと、ある話を思い出した。

水中カメラマンの中村征夫さんの話だ。
海でのきれいな写真。
クジラの写真が目に浮かぶだろうか。
中村征夫さんは、海でクジラとかそういった生き物の写真をとっている。
そのような写真を撮れることはすごいなとは思っていたが
彼が、まさかクジラの写真をとるときに
足の骨を折る大けがをしていたとは。
いまでもかがむのが難しいという。

こんな写真よく撮れたね!!
と、すごい写真を見ると思うのだが
その一瞬をとるために、本当に体を張っている場合があること。
これは本当に恐ろしいと思う。
自然の中で動物の写真を撮るとき、安全保証はないということだ。

中村さんはこのとき、親子のクジラの撮影をしようとしていたが
中村さんに同行していたスタッフが母クジラの神経に触ったようで
尾びれでたたかれるのを助けようとして自身も負傷したという。
本当に恐ろしい世界だ。


しかし、彼は、そんなことのない、人間に気を使う別の優しい母クジラの話もしていたけれど。


というわけで、この映画も沢山の命がかけられてつくられたのではないかと思う。
本当にすごいことだ。
このように、命をかけて撮影に行くカメラマンの方を本当に尊敬するし
またその方の家族の心配を思ふ。





2010年6月2日水曜日

映画『ガンジー』

ガンジー


1982年公開のイギリスとインドとの合作映画
監督:リチャード・アッテンボロー
脚本:ジョン・ブライリー
音楽:ラヴィ・シャンカール
ジョージ・フェントン
*第55回アカデミー賞 作品賞受賞作品。

ガンジー役にベン・キングスレー


ガンジーは、小学生の時に伝記でを読んでおり、とても感動した。
この映画は、とても質が高く、アカデミー賞になった理由が分かった。

映像も音楽も衣装もすばらしく良かった。
インドの素敵な部分が見れた。

ガンジーの生き様はすごすぎて書く事ができない。
でも、ひとつ言うなら、、、
暴動をやめさせるために、断食して、自分の命を掛けていたところが凄かった。
みんなガンジーを慕っていたから、ガンジーの死に向かう姿勢を知ると暴動をやめるということだ。
なんていう人だったのだろう。
どうしてそんなに強い人になれたのだろう。


映画として超大作だったし、時代に残る人の凄い超人的な生き方が面白かった。


また、群衆に対して、呼びかけを行う際には、
遠くの丘の上まで人、人、人で、
そんなに多くの人はどうやって?
タイタニックのようにCG?
ではなく、
本当に集まってくれたインドの人々だという。
ガンジー役のベン・キングスレーが言うには、
ガンジー役をしていると、
どんなに本物のガンジーがインドの人に慕われていたかが分かるという。

それ程までに、
人々の心に残る偉大な人だったのだろう。

映画として、この作品はまた見たいと思うものだった。





2010年6月1日火曜日

映画『ぼくの伯父さん』

ぼくの伯父さん


1952仏
監督:脚本: ジャック・タチ
脚本:ジャック・ラグランジェ
撮影:ジャン・ブールゴワン
美術:アンリ・シュミット 
出演:ジャック・タチ/ジャン・ピエール・ゾラ/アラン・ペクール/ドミニク・マリ


この映画は、軽いタッチの曲とともに、ひょうきんなおじさんが出てきて、
近代的な階級の家と、下町のアパートを行ったり来たりする、
全体的にコメディーな映画だった。

色彩や、カメラのアングルが良かった。
中でも気に入っているシーンは、アパートの自分の部屋までたどり着くまでのシーンで、
そのアパートのつくりが面白いから、下のガラス窓から足が見えたり、
どこに行くんだろう?と目が離せなかった。

子どものいたずらや、家族が見栄をはる姿や、
失敗を隠そうとする姿が描き出されており、
それは、完璧でない人間の姿を、オモシロおかしく描いているようだった。


だから、劇的なストーリー展開というのはなく、
ただ、『こういうことあるよねっ』とクスクス笑えるような作品だった。


それにしても、未来を描く映画というのは、面白い。
この映画は1952年に作られたらしいが、未来の生活を真剣に予測している。

ボタン1つで引き出しが開いて、コップが出てきたり、
そこまで、サイバーチックなのか?というほど、未来に対しての予測がなんだかおかしい。

半分当たっていて、半分はずれているような。


ただ、このような映画は、実際の街でロケが行われているわけで、
いくら1つの一軒家をサイバーチックにしても、どこか、未来的ではない
むしろ昔の雰囲気がして、そこになんだか、安堵感を持ってしまったりする自分がまたおかしい。


この映画を見て、人間観察をして、その人間のおかしさをポジティブに笑ってしまう
そんな経験をした。