2010年5月31日月曜日

映画『男と女のいる舗道』

女と男のいる舗道 [DVD]


1962年公開
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
撮影監督 : ラウール・クタール

主演:アンナ・カリーナ


カメラの切り抜きかた。
状況説明がすごくよかった。
出だしもかっこいい。
2人がけんかしているが後ろ姿で、
たまに鏡ごしに2人の顔が交互に見える。
カフェのシーンも良かった。
人間観察に基づいているというのが良く分かるくらい
人間の色々な複雑な心境のようなものが表れていた。

映画『勝手にしやがれ』





1960年公開
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール

ゴダールの長編デビュー作。
主演はジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグ。

乱暴なストーリーにそれなりの結末。
でも、それが見所なのではなくて
人間のそういう心理の部分なのか。
人間の弱い心が全面に描かれていたように思う。
とくに、ドライブしながらけんかをするシーンが面白かった。
同じような語り節で、短いカットをいくつもつなげる。
場所がいちいち変わるので、どれだけ遠くにくるまでけんかしていたのか、その長さというのが分かる。






2010年5月30日日曜日

映画『華氏451』

フランソワ・トリュフォー監督による、1966年のイギリスの長編SF映画である。
フランソワ・トリュフォー監督は、今日ではヌーヴェルヴァーグの一人として知られている。

<ヌーヴェルヴァーグ>
1950年代末に始まったフランスにおける映画運動のこと。
広義においては、映画制作会社における助監督等の下積み経験無しにデビューした若い監督達による、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などの手法的な共通性のある一連の作家・作品を指す。
狭義においては、映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の主宰者であったアンドレ・バザンの薫陶を受け、同誌で映画批評家として活躍していた若い作家達(カイエ派もしくは右岸派)およびその作品のことを指す。モンパルナス界隈で集っていた者で、主にドキュメンタリー(記録映画)を出自とする面々をことを左岸派と呼び、一般的にはこの両派を合わせてヌーヴェルヴァーグと総称することが多い。

ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)と言う呼称自体は、1957年10月3日付のフランスの週刊誌『レクスプレス』誌にフランソワーズ・ジローが「新しい波来る!」と書き、そのキャッチコピーをその表紙に掲げたことが起源とされる。
しかし、この言葉が用いられる以前から後にヌーヴェルヴァーグ的動向は既に始まっていた。
トリュフォーは1954年1月号の『カイエ』誌に掲載した映画評論「フランス映画のある種の傾向」において、当時のフランス映画界における主流であった *詩的リアリズムの諸作品に対し同様の観点から痛烈な批判を行なった。その論法の激しさからトリュフォーは「フランス映画の墓掘り人」と恐れられたが、これはヌーヴェルヴァーグの事実上の宣言文となった。

一般的にはトリュフォーやルイ・マルなどが過激な論陣を張った1967年のカンヌ映画祭における粉砕事件までを「ヌーヴェルヴァーグの時代」と捉えるのが妥当である。
しかし、即興演出、同時録音、ロケ中心を手法的な特徴とし、瑞々しさや生々しさを作品の特色とする「ヌーヴェルヴァーグの精神」はその後も生き続け、ジャン・ユスターシュやフィリップ・ガレル、ジャン=クロード・ブリソー、ジャック・ドワイヨン、クロード・ミレールらは「カンヌ以降(もしくはほぼ同時期)」に登場し評価を得た作家だが、いずれも「遅れてきたヌーヴェルヴァーグ」との評価を得た。

*(詩的リアリズム)
映画批評家・サドゥールによって提唱された一部のフランス映画の定義。
表現手法としては、大型セットにおけるスタジオ撮影を基本とし、遠近などに関して誇張を行なう場合が多い。


この映画を見て、私は、始めにこの映画のカメラワークがとても好きだと気に入った。
そして、建築や衣装などのデザインがすごく洗練されていて、面白かった。
ストーリーとしては、やや残酷で、過酷であった。
しかし、最後の『本を暗記なさい。そして、その本を焼きなさい。暗記すれば、私たちから本は奪えないのだから』というような台詞を言うことがある。

また、テレビのニュースで主人公、モンターグが追跡されているシーンで、
実際にモンターグが捕まっていないのに、
人々は、すぐ結果を見たい、落ち着きたいのだから、
わざと嘘のビデオ、つまり、モンターグがしとめられる映像をニュースでながしている。
これも、人間の集団心理。を誇張して、
映画の中のコメディー的な部分としてだしていると思った。

全体的に、この作品が気に入った。





2010年5月29日土曜日

映画『AVATAR』

監督・製作・脚本 ジェームズ・キャメロン
音楽 ジェームズ・ホーナー
公開 2009年12月
*構想14年、製作に4年以上の歳月を費やした。


まず、3Dメガネを掛けたときにビックリした。
今までの映画とは違って、奥行きがある。
まるでそこで事が起こっているようで、音響の大迫力とともにその世界が包み込んでしまうようだった。


案の定、その感動は、予告編の3Dのアリスで、起こってしまったのだが。


ストーリーとしては、主人公がAVATARの中の自分と実際の自分のどちらが本当の自分か分からなくなってしまい、人間の自分を捨ててしまうという、ところが面白かった。

しかし、後の部分は3Dの迫力を魅せるのが第一目的だったのか、ほとんど戦いのシーンで構成されていて、マンネリ化していたようにも思う。
正義と悪が戦い、正義が勝利するというような、いつもどおりの展開で、戦えば良いというような、姿勢が感じられた。



しかし、3Dは本当にすごかった。



音楽が大ボリュームで流れているので、怖さも緊張も、感動も
振動として大迫力で狭ってくる。
それ以外のものが何も考えられないようになる。
耳を塞ぐと、どんな怖いシーンもそれほどまで怖くなくなる。
やはり音の威力は凄いんだなと思った。
その音楽といえば、、、わりと聞いた事のあるような民族音楽のようであったりして
未来の話なのに、昔懐かしい感じがした。
AVATARが未来の生き物なら、もっと、地球にないような音楽のほうが良かったのでは?と思った。


そうはいっても、迫力、世界観は凄かった。


ただ、3時間ほどの時間のうちに
3Dに慣れてしまう自分がいて驚いた。
なんという順応力。
人間って恐ろしいなと思った。
この調子でいったら、3Dの時代も数年で過ぎて、
また新しい次元に行ってしまうのか…??


あと、凄いのが興行収入。
軽く、制作費の10倍は越えてしまう。
映画ってすごい!!


また、アリスとか、もっとファンタジーにせめてくるだろうから、
見に行ってみたいと思う。





2010年5月28日金曜日

映画『マリア・カラスの真実』



2007年 フランス/ギリシャ/オーストラリア

監督:Philippe Kohly
脚本:Philippe Kohly


出演 マリア・カラス | Maria Callas
フィリップ・フォール | Philippe Faure
ジャン・コクトー | Jean Cocteau
ジュゼッペ・ディ・ステファノ | Giuseppe Di Stefano
ティトー・ゴビ | Tito Gobbi
グレイス・ケリー | Grace Kelly
ジャクリーン・ケネディ | Jacqueline Kennedy
ミシェル・ルグラン | Michel Legrand
エルザ・マクスウェル | Elsa Maxwell
Aristotle Onassis
ピエル・パオロ・パゾリーニ | Pier Paolo Pasolini
Georges Prêtre
Lee Radziwill
トゥリオ・セラフィン | Tullio Serafin
ルキノ・ヴィスコンティ | Luchino Visconti
フランコ・ゼフィレッリ | Franco Zeffirelli




2010年5月27日木曜日

映画『MODE IN FRANCE』



MODE IN FRANCE 1984
監督:ウィリアム・クライン


モードの教科書!シネマのなかの80'Sパリコレクション

ゲンスブールによるフランス国家とともにデザイナーが勢揃いするショーにはじまり、保育園児たちの仮想ショー、20世紀のモード史を振り返るシーケンスと続き、本編に…。
ゴルチェとのコラボレーションは200人のパリジャンに服を着せて街に飛びださせる疑似ドキュメンタリー。
シャンタル・トーマスの「告白」では、白箱に押し込められたモデルが真実を暴露。
ケンゾーの「映画モード」は、フレッド・アステア風な刑事長とモデルによる探偵映画仕立て。
モード界が最も燃えていた'80sのパリを舞台に、ファッション産業に支えられたフランスと、ビック・デザイナーに群がるファッション中毒者たちを12篇の様々なスタイルで描き出す。




この映画は、12篇のそれぞれの映画から成っていて、
それぞれのデザイナーごとに映画のテーマが違っていて面白かった。
特に、シャンタル・トーマスの「告白」が良かった。
白箱に押し込められたモデルが真実を暴露する。
映画といえども、これはインタビューそのもので
モデルという喋らない、普通の人間とは、見かけ的にも一線を期しているような存在の人が
自分の生い立ちや、負い目、もっとポジティブなこと
恋愛関係、男について語っていて
見かけからみる華やかな感じだけじゃなくて
というか、それとはかけ離れたような実態というのが見えてきて
ビックリした。

仕事に忙しい彼女たちは、夜遅く仕事から帰宅したり
自分たちが寂しいときに隣りにいてくれるような男性が結局必要な場合が多いらしく
仕事をしていない男性を養うということも少なくないとか。

まさか。という事実だった。


あと、良かったのは
服が人をつくるというような言葉ではじまり
幼稚園児が服を選び
顔にペインティングする出だし。


後に、大人が出てきて
それなりのファッション、モードの世界が写るのだが
その世界で行われていることの原点は
この子どもたちが服を選んで、何かになりきったり、色々おめかししている
その様子と一緒ということ。

凄かった。


さらに、ファッションの歴史が面白かった。
昔の一人で着ることが出来なかったような重厚な服の時代から
シャネルが登場して、身軽になって、、、
というように、現代のところまで。
3人の人が早送りでどんどん変化していって面白かった。


このような、大雑把な映画もかっこいい。

とくに、街にゲリラ的に出動したり
実験的で、、、
型にはまっていないからいいのかな。





2010年5月26日水曜日

映画『海辺のポーリーヌ』(Pauline a la plage)



仏1983
監督・脚本 エリック・ロメール

あまり期待していなかったのだが、
見てみたら以外と面白かった。


はじまりに出てきたこの詩↓が印象的。

"Qui trop parole, il se mesfait" Che. de Troyes
"言葉多きものは災いの元" クレチアン・ド・トロワ


ずっと、このようなことで、論争をしている。


フランスの映画を見るといつも思うが、
彼らは、いつも言葉の表現1つ1つにダメだしをしている感じで、
言葉に対して厳密だ。
そして、ずっと話つづけている。
止まらない。

この詩のように言葉が多く、災いをもたらすというそのままの映画だった。


ただ、衣装とかを見ても思うが、
1983年の映画だというのに、すごくかっこいい。
今でもそう思えるのってすごい。





2010年5月25日火曜日

映画『NINE』



2009年のアメリカ映画。
監督:ロブ・マーシャル
ダニエル・デイ=ルイス - グイド・コンティニ(スランプに陥った映画監督)
マリオン・コティヤール - ルイザ(グイドの妻)
ジュディ・デンチ - リリー(衣装デザイナー)
ソフィア・ローレン - グイドの母親

フェデリコ・フェリーニによる自伝的映画『8 1/2』をミュージカル化し、トニー賞を受賞した同名ブロードウェイ・ミュージカルを映画化した作品である。
マーシャルにとっては3作目の映画作品で、映画監督デビュー作でアカデミー賞作品賞を受賞した『シカゴ』に続くミュージカル映画となり、主要なスタッフも再結集している。


ロブ・マーシャル(Rob Marshall、1960年10月17日 - )は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州マディソン出身の映画監督・振り付け師。
1982年にカーネギー・メロン大学を卒業後、ブロードウェイで舞台振り付け師として活動を始める。
自他共に認めるボブ・フォッシーのファンであり、かねてから構想を練ってきた彼の代表作『シカゴ』を2002年に映画化。振り付けも担当し、2003年アカデミー賞では最優秀助演女優賞(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)、最優秀美術賞、最優秀衣装賞、最優秀編集賞、最優秀音響賞、最優秀作品賞の6部門でオスカーを獲得した。続く『SAYURI』でも舞踊の振り付けを担当した。



アメリカの、ミューーージカルっていう感じだった。
イタリア男なら遊べ!
みたいなメッセージを歌いまくる女がいたり
ドロドロな感じ。
シカゴを映画化した監督だったけど
衣装から何から何まで
別にシカゴとそんなに変わらなかったように思えて
チャレンジがなかったように思った。

このようなストーリーで
別に心に響く歌でもなかったけれど
多額の資金を投じて
真剣にこの映画を作ったかと思うと
ちょっとよくわからない。

まるで、映画監督が職業病のように、変。というキャラ設定であるが
映画『恋愛小説家』にもあるように、良くある話だった。


ひとつ、面白かったのは、現実の世界と
回想シーンや、今の心の中の自分が別に撮影されていて
それが現実のシーンに織り込まれていた事。
映画だから、別に歌う必要は特にないのだけれど
そういう風に、心の中とかを映し出すには
そんな歌のシーンがあってもきつくはなかった。
衣装も良かった。


ただ、このストーリー
あんなに大女優を沢山使わなくてよかったのでは?と本当に思う。
あんなすごい女優さんを使うなら
もっと演技のやりがいのあるものをやるべきでは。


ミュージカルの映画ってちょっと難しいなって思う。
やっぱり劇場で見るとダンスとか歌とかすごい!って思うから
ストーリーとか気にならないけれど
映画となると、ストーリーが気になる。
やっぱりカメラを通すから、アップとかもできるし、
台詞もちょっとつぶやいた感じで十分、というかそのほうが魅力があるように思う。
劇場では、歌うように、自分の感情を表現するほうが、
音楽と気持ちが乗って、劇場全体をつつみこめるのかもしれないけれど
映画には特に必要がないと思った。


イタリア人はこれを見てどう思うのか。。。





2010年5月24日月曜日

映画『IN & OUT OF FASHION』

イン&アウト・オブ・ファッション


1993年フランス映画
監督 William Klein

写真家、映画監督、グラフィック・デザイナーなど様々な肩書きを持つW・クラインが、自らの半生を振り返るドキュメンタリー。イヴ・サン・ローランを始め著名人が語る彼の素顔や、モード界の最先端を歩いた彼の写真や衣装デザインなどを紹介しつつ、その半生を回顧する。



SFってこういうことかと、前回のMODEL COUPLEと同じように分かった。





2010年5月23日日曜日

映画『人間ピラミッド』



1961年製作のフランス映画。
原題『La Pyramide humaine』。 
監督は映像人類学者として知られるジャン・ルーシュ。

地元の高校生の人種差別問題に気づいたルーシュは、この問題を主題に16ミリ映画を撮ることを思いついた。
1959年7月の夏休みを利用して撮影が始められ、無声で10時間分撮影された後、9月に仮編集された。
その後、年末のクリスマス休暇、翌年の復活祭休暇を利用して追加撮影が行われた。
最後の撮影はパリの撮影所に作られた教室のセットで既にパリで勉学中の5人に加え、アビジャンから5人の若者を呼び寄せて行われた。
16時間にのぼる撮影素材は、半年間の編集を経て、92分の映画作品となった。
なおコート・ジヴォワール共和国は1960年8月7日に独立、この映画はその後の1961年4月19日に公開された。

「この映画は黒人と白人の青年グループの中に作家が喚起した実験である」。

黒人のドニーズと白人のナディーヌは、ともにパリで学ぶ大学生だ。だが、彼らは一年前、コート・ジヴォワール自治共和国の首都アビジャンのココディ高校に通っていながら、互いに面識もなかった。
ジャン・ルーシュが、白人グループと黒人グループのそれぞれの最終学年の高校生たちと面談する。
アフリカに来たばかりの新入生ナディーヌが自己紹介する。彼女の目から見た同級生たち。素朴な彼女には人種差別問題が理解できない。
友情、恋、音楽、踊り、詩……。ナディーヌの編入によって、白人グループと黒人グループの交流が始まる。
ドニーズはナディーヌにアフリカの抱える政治問題への興味をもたせようとする。
誰とでも分け隔てなく接するナディーヌは異性の誤解を招く。
やがて映画の中の悲劇が生じ、白人グループと黒人グループはまた分離してしまう。
「映画の終わりがヴァカンスの終わりだ」。「映画は終わるが彼らの物語は終わらない」。


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この映画がすごい所は、一人一人の役割を俳優に与えること。
そして、コートジボワールでの人種差別問題を扱う事。
この2点を決め、
シチュエーションを作って、そのまま人間の動き、発言を記録していることである。

音楽も、アフリカ音楽、西洋音楽、ポップスという三種類を使っていて、
文化を保存する役割をしている。



実際の頭で構築した世界、話ではなく、
ある所、カメラの中の人が本気になって、
役を演じているのではなく、
役によって自分が変わったり、
そのままの自分が出てきたり、

自分って何なの?
コントロール不可能で、すごい人間の勢いが伝わってきた。

実際、ここでの白人(フランス人)と、黒人(コートジボワール人)は
映画に参加するまでは、お互いを軽蔑していたという。

しかし、彼等高校生が、人種差別の壁を越えて、友達になっていく
というストーリーのもと、
本当に友達になってしまったという。


映画が人を作ってしまったということ。


これは、歴史的にもすごいことだと思う。


何せ、この映画の直後にコートジボワールが独立したり、
この映画に参加した子が後に、大臣になったりしたというから、
この映画のおかげとは何もそんな根拠はないけれど、
少なからず関係があるはず。

それに、<グンベ>という地元のダンスパーティーで、
文明的優位者であるフランス人が、
身体とリズムを貴重にしたダンスの場では、たじたじになっていて
アフリカ的文明においては、劣等者となっていたところが印象に残った。


差別社会の実態を映した、すごい記録だと思う。


予想できないことに挑戦する監督がすごいと思う。
こういう風に即興的に作るってすごいなって思ったら、
監督、ジャン・ルーシュは
JAZZにすごく没頭した時期があったそう。

本当JAZZの即興みたいな作り方の映画だった。
とにかくどう動くか分からない人間のうつろいをキャプチャしているのが
とても面白かった。






2010年5月22日土曜日

映画『RED, WHITE & BLUES』



公開 2004年 8月  アメリカ

監督:マイク・フィギス (Mike Figgis,1948年2月28日)

イギリス出身の映画監督・脚本家である。幼い頃はケニアのナイロビで育った。
ミュージシャンでもあり、ギターとトランペットを演奏する。"The Gas Board"というバンドに所属していた。映画の音楽も自分でつける場合が多い。



心に残った一言。
bluesは『今生きている人生、過去の人生、未来の人生』を歌っているから、心に響く音楽、Rock, R&R, JAZZの原点となるような重要な音楽なんだ。ということ。


レコードの発明によって、音楽が保存できるようになった。
それによって、イギリスの人がBLUESを聴くことが出来た。
アメリカでゴミとして捨てられていたような音楽を拾ったのはイギリス人で
彼等がいなかったら、今頃、黒人は暗闇にいただろう。
だから、彼等にとても感謝している。

ということに感動した。
泣きそうになった。

BLUESを愛するものはBLUESを保存しなければならないというのがMike Figgisの考えである。
メディアによってできる最大のことだ。

BLUESの知られざる側面を暴きだし、さらに、文化を保存するという目的で
映画という形式を使っているのがおもしろい。


インタビューで構成されているのだが、本当に良く出来ている。
感動!






2010年5月21日金曜日

映画『クレーヴの奥方』



1999年ポルトガル
監督:マノエル・デ・オリヴェイラ

シュールにすごい。
ロック歌手とクラシカルな女性の恋愛ストーリー。
設定が壊れているのに
平静を保って物語は進行していく。




2010年5月20日木曜日

映画『クジラの島の少女』



2002年 ニュージーランド映画
監督・脚本:ニキ・カーロ
音楽:リサ・ジェラルド


ニキ・カーロ(Niki Caro、1967年 - )
ニュージーランド・ウェリントン出身の映画監督、脚本家、映画プロデューサー。
オーストラリアで映画製作を学んだ後に、ニュージーランドのテレビ界で活躍。1997年に映画監督としてデビューした。


この映画は、マオリ族の伝統を守ろうとする世代と若者の世代の葛藤が描かれている。
主人公のパイが、女でありながら、1つ運命、部族の長に導かれていくストーリー。
女が部長になることを受け入れられない、村の長であるおじいさん。
まるで、愛子様を取り囲む状況と一緒だ。
と、このニュージーランドの映画を見て思ったのが不思議。

パイの父親であるポロランギ役の人が言うには、
何が大切で、何を捨てるべきか。
が重要になるらしい。


伝統的な儀式や踊りや歌などが地元の人やキャストによって描かれており、そのエネルギーはすごい。
こうやって、民族の歴史、文化のアーカイブにも貢献した1つのフィルムだった。
また、ファンガラという、マオリ族の住む村で撮影が行われただけでなく、
キャストが全員マオリ族の血を受け継いでいる人で、
しかも、主要人物以外の人々は、地元の人だという点も面白い。


低予算映画ということで、
NZ$6,000,000で作られたそうであるが、低予算だとは気がつかないほど、
充実した内容となっている。


音楽も誇張しすぎることなく、程よかった。






2010年5月19日水曜日

映画『盗聴』

1974年製作のアメリカ映画
監督・製作・脚本:フランシス・フォード・コッポラ


映画の構想自体は、監督のフランシス・フォード・コッポラが1960年代中盤から暖めていたものである。

この映画は、サスペンス映画の傑作として高く評価されているというように
確かに、すごい映画だった。

盗聴を担当する録音業者が終いに、自分が盗聴されている心配に陥る。

ロケも、1つの公園と室内が中心で撮られているが、
それを感じないほど、上手くストーリーが構成されていて、
壮大なスケール感だった。


そして、音も特徴的で、盗聴らしく、
野外録音の音質の悪いものがずっと流れてくる。

恐怖のシーンでは、何度もその言葉をリピートして、主人公がテープを巻き戻して聞いたりしていて、
それもまた、観客に恐怖をあおるような効果を持っていた。


色んな意味で勉強になりそうな映画だった。






2010年5月18日火曜日

映画『ダンス・オブ・ダスト』

アボルファズル・ジャリリ監督



■映像と音が織りなす、壮大な世界

言葉を越えたコミュニケーション──心と心のつながりを描く本作には、台詞が存在しない。しかし、泣き声や笑い声、歌声や祈りの声、さらには風の音や雨の音、火の燃える音や水の流れる音など、日常にあふれるありとあらゆる音が刻み込まれている。その音に呼応する映像は、自然と共に暮らす人々の生の姿を、時にユーモラスに、時に厳しさをも映し取りながら、積み重ねられていく。
一体となったこの映像と音は、壮大な一篇の詩となり、雄弁に語りかけ、圧倒的な力で観る者をとらえて離さない。「この映画を観るたびにいつも新しい発見がある。これは確かに私が創った映画だが、そこには私を超える何かが存在する」とジャリリが語るように、観る者は『ダンス・オブ・ダスト』で、今までにはない"映画"を体験することだろう。



■時代はジャリリに追いつけるか!

製作直後から、理由も判らないまま一切の上映を禁じられてしまった『ダンス・オブ・ダスト』は、封印され、幻の映画となっていた。しかし98年になって、ロカルノ、東京、ナントなどの国際映画祭のスクリーンに、突如姿を現した。たちまち世界は騒然となり、本作は数々の賞に輝くとともに、ジャリリの名は、一躍世界に轟いた。ジャリリは、時代を先取りしすぎていたのだろうか。
その後、フランスで一般公開され、批評家たちだけでなく、観客からも絶賛されヒットを記録した。
そして21世紀になった今、『ダンス・オブ・ダスト』は、日本でようやくそのヴェールを脱ぐ。




アボルファズル・ジャリリ
(Abolfazl Jalili)

<PROFILE>

1957年6月29日、イラン中央部のサヴェーに生まれる。13歳で自分が描いた絵や書を売り生計を立てる。79年、IRIB(イラン国営テレビ)に入社、この間に手がけた短編ドキュメンタリーや短編劇映画を通じて独自の手法を模索する。
少年院の子どもたちを実際に出演者に起用した第3作『かさぶた』(87)により、批評家の注目を集める。だが、常に過酷な状況下にある子どもたちをリアルに描くジャリリの作品は、イラン国内では常に賛否両論の論争を巻き起こし、92年製作の『ダンス・オブ・ダスト』は国内外を問わず一切の上映を禁止される。
95年、原因不明の病気にかかった妹を治そうとする少年を描いた『7本のキャンドル』がヴェネチア国際映画祭で金のオゼッラ賞を受賞。翌96年にはドキュメンタリーとフィクションを大胆に融合させた『トゥルー・ストーリー』がナント三大陸映画祭でグランプリを獲得し、ジャリリの名は一気に世界に知られることになる。
ハタミ政権が成立した後の98年には、『ダンス・オブ・ダスト』がついに海外での上映を解禁され、ロカルノ国際映画祭での銀豹賞をはじめ、各国の映画祭で様々な賞を受賞。同年、サン・セバスチャン国際映画祭では『ぼくは歩いてゆく』が審査員賞を受賞している。また、モフセン・マフマルバフ、ナセール・タグヴァイと競作したオムニバス『キシュ島の物語』は99年のカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に正式出品された。2001年、実際のアフガン難民の少年を主演に据え完成させた『少年と砂漠のカフェ』は、ナント三大陸映画祭で見事グランプリを受賞。2007年には麻生久美子の海外初進出作品となる『ハーフェズ ペルシャの詩』がローマ国際映画祭審査員特別賞を受賞。世界にその名を轟かせる監督である。





<インタビュー>

○ 監督にとって風とは何ですか。

悲しさを表すものであったり、誰かの話し声であったりします。タイトルの後ろに流れているのは「これから何かが起こるよ」と風が囁いているイメージです。風はいろいろな所を巡っているので、孤独な人間の声や、いろいろな言葉を運んで来ます。風の音は友人のように話をしてくれるのです。
○ 映画の中に出てくる手のお守りは何ですか。

宗教のシンボルです。1200~1300年ほど前に非常に悪い王様がいて、シーア派のリーダー・ホセインが、たった70人ほどで王様を倒しに3万人と戦いに行きました。どう考えても負け戦でしたが、悪い王様は倒すべきなので、闘わなければなりませんでした。2つの大きな川のほとりに壁を作られ、みんなは水が飲めなくなりました。ホセインは子供に水を飲ませたいと思い、川に行きました。その時、矢に射抜かれて手が落ちました。その伝説により、“手=水”というシンボルの構図ができたのです。でも、『ダンス・オブ・ダスト』の中で、村の人々は「雨よ、降らないで」と手のお守りに祈ります。イリアは「雨よ、降れ」と祈ります。大勢と一人の少年の願い事のコントラストをより強く出す為に、本来水を祈るべきものに対して、雨が降らない事を祈る村を描いたのです。神様はみんなの願いよりも一人の願いを聞きます。何故なら、神は愛を好むからです。雨が降れば気温が下がり、リムアの熱は下がる。イリアの仕事は無くなり、リムアも去ってしまうけれど、イリアはリムアの病気が治ることを祈ります。煉瓦を踏んでつぶしているのは、犠牲の精神を表しています。
○ 何故セリフのない映画にしたのですか。

幾つか理由はあります。一つに、映像のシンフォニーにしたかったからです。知らない国・言葉でも音楽を感じることはできる。前に日本に来たときに、カラオケに連れて行かれたましたが、歌詞は関係ありませんでした。知らない曲であっても、桜を見て一瞬いい気持ちになれるのと同じです。以前は映像の方が音よりも重要だと思っていました。でもある日、事故の音を聞いて、事故を見に行って以来、映像よりも先に音が来るのだと思うようになりました。また、セリフを無くして映像の強さでピュアな恋を出したかったのです。あと、祈りとは神との会話で、とても個人的な対話です。人に聞かれたくないものなのです。それも、字幕をなくした理由の一つです。
ロカルノ映画祭のディレクターに「タイトルも字幕もなにも入れないで欲しい」と頼んだら、「そんなことをしたら、みんな席を立ってしまうから、挨拶のときにストーリーを話せ」と言われました。でも、「愛のこだまを伝えたかった。僕の映画は普通じゃないかもしれないけれど」としか、挨拶では言いませんでした。ディレクターは怒って、「一緒に出口で観よう。きっと沢山出て行くから」と言い、2人で一緒に出口で観ました。すごく怖かった。席を立ったのは3人でした。終わってから「3人出た」と言うと、「その3人はトイレに行って戻っただけ」と言われ安心しました。イランには「心から出た言葉は心に染み込む」という諺があるのです。
○ 出演者について

私が現場に連れてきた人たちで、実際の季節労働者ではなく、百姓、店員、など様々な職業の素人です。イランの訛りは何を言っているのか分からなくてもちょっと聞けば、大体どこの人だか分かります。私の言っていること(標準的なペルシャ語)は出演者達に伝わっていたようですが、相手の言葉はわかりませんでした。同じ「雨よ、降らないで」も分からないときがありますが、気持ちで分かるのです。見た目でどこの人かもよく見れば大体分かります。イラン国内は、北・・・ヨーロッパ、南・・・黒人、東・・・日本・中国系、西・・・私みたいな感じ、南東・・・パキスタンぽい人 といろんな感じの人たちがいます。映画を無国籍な感じにしたかったのです。
クルド人の多いところでロケをしました。頭がおかしいくらいの人をいつもいいな、と思ってしまいます。英語を話している人はイラク人です。頭がおかしいように見えて、他の人たちよりも進んでいるのではないだろうか、と思っています。
○ 上映禁止についてどう考えていますか。

『ダンス・オブ・ダスト』は他の作品よりもメタフィジックなので上映禁止は本当にストレスになりました。イランで有名な記者の人が居て、その人は子供の頃から足が無く、走ったことがありませんでしたが、「『ダンス・オブ・ダスト』を観て走った気分を味わった、いい気分になった」と言われ、すごく嬉しかったけれども、悲しくもなりました。こうやって映画を通して、人を助けることができるのに、縛られているのが悔しかったのです。
クルド人を使っているから上映が禁止になったわけでは絶対にありません。迷信的な所があるせいで禁止になったのではないかと思います。みんながお祈りしていた手の形のお守り(迷信)を盗む、それが反体制的ととられて上映禁止になったのかもしれません。
『ダンス・オブ・ダスト』はたまたま外国人の友人達にビデオなどで見せていて、ロカルノやベネチアの映画祭から要請が来ていました。海外からのプレッシャーで1998年に映画祭に出すことができたのです。
○ ロケ地・煉瓦について

火・風・土・水の全てがある所を探して撮影しました。神はこの四つを使って全てのものを創ったからです。土と水を混ぜ、風で乾かし、火で焼いて固める煉瓦。煉瓦は濡れると強くなります。井戸に落とされたことでより強くなり、かつ浄化されました。神は人間を土から創りました。人間は死ぬと土に戻ります。その繰り返しです。イスラムの考えで命は終わらないのです。
○ 主人公(イリア)について

土からできているような感じで、声のいい男の子を探しました。Laboで「煉瓦を削ったみたいな子供」と言われ、成功したと思いました。主人公は北東の煉瓦工場で働いていた男の子でした。『ダンス・オブ・ダスト』には、子供でありながらも生活の重さで老いてみえる子が必要だったのです。
○ ヒロイン(リムア)について

ロケハンをしているときに煙突のある町に辿り着きました。私たちを見つけると、ポスターの写真のように丘にのぼって主人公を演じた女の子が「知らない人が来たー!」と叫んだようでした。私には彼女の言葉が分からないので、雰囲気でそう言ったのだと思いました。その子の顔を見ると、お風呂から出たてのような清潔感のある綺麗な顔をしていたので、非常に彼女に惹かれました。それで、この映画のストーリーがほとんど決まったのです。
○ 監督にとって『ダンス・オブ・ダスト』とは。

新しい満ち溢れる愛の物語です。姿・形ではなく、心に恋をした話。その方が心に残るのです。外見の印象はどんどん薄くなって消えてゆきますが、心は日が経つにつれ、もっともっと深くなります。誰かを好きになる、その気持ちを伝える、yes/noは関係ない。愛・尊敬で一生、生きていけるのです。その素敵な気持ち、いい匂いだけで。
『ダンス・オブ・ダスト』には内面的な力があります。ポジティブなエネルギーが得られるはずなので、何度でも見てエネルギーを手に入れて欲しいと思っています。そして見た意見を私に言って欲しいです。






2010年5月17日月曜日

映画『ベジャール、バレエ、リュミエール』



製作: 2002年 スイス
監督: マルセル・シューバッハ


革新的な創作バレエで人気を誇るモーリス・ベジャール・バレエ団の舞台「リュミエール」の舞台裏に迫ったドキュメンタリー映画。




解説
20 世紀後半、バレエに新しい光を注ぎ、その革新的な創作の数々でセンセーションを巻き起こした天才振付家モーリス・ベジャール。日本でも、映画『愛と哀しみのボレロ』(81)でジョルジュ・ドンの踊る名作「ボレロ」が大きな話題を呼んだこともあり、バレエ・ファンならずとも彼の名を知る人は多いだろう。『ベジャール、バレエ、リュミエール』は、舞台「リュミエール」公演初日までの半年間を追い、華麗な舞台の裏側にあるベジャールとダンサーたちのバレエへの愛と創造の喜び、そして苦悩を描きだす感動のドキュメンタリー作品である。バレエ、音楽、映画という3つの芸術的要素が織り成す舞台「リュミエール」。その舞台裏は、人生のすべてをバレエに注いだ、ベジャールの溢れる情熱、生き様そして、それをうけるジル・ロマンほかダンサーたちのバレエを生み出す苦しみ、それらが集まり大きな創造のエネルギーとなって華麗な舞台を作りあげていく。監督は、スイス出身のマルセル・シューバッハ。人物を中心にテレビドキュメンタリーの分野で活躍する彼は、最小限のスタッフで60時間以上のカメラを回しながらベジャールに接近。シューバッハ監督は、「リュミエール」の舞台裏を中心に77歳・天才振付家ベジャールの内面と創造の秘密に鋭く迫り、舞台上に新たなバレエが生まれる瞬間をみずみずしく捉え、ひたむきに努力し、何かに無償の愛を捧げることの美しさを丁寧に描き出していく。

舞台「リュミエール」は、“リュミエール=光”をコンセプトに、映画、そしてバッハ、バルバラやジャック・ブレルのシャンソンなどを重層的に織り交ぜ構成していく、ベジャールならではの壮大なバレエだ。2001年6月に、リヨンのフルヴィエール・ローマ円形劇場で1万5千人の観衆を前に初演された。本作では、2001年2月から初演に至るまでを撮影期間に費やしているが、ここで大きな見どころのひとつになっているのは、普段は決して見ることのできないバレエ団の舞台裏。創造の迷宮に舞い込みながら、スタジオでジル・ロマンをはじめダンサーたちによどみなく振りを付けるベジャール。その指導に熱心に耳を傾け、マジックのように彼の意図を肉体化していくダンサーたち。また、スタジオや舞台の袖で見せるダンサーたちの真剣な表情もカメラはとらえる。本番が近づく中、二転三転する衣装合わせ、悪天候のせいでたびたび中断される屋外リハーサル、楽屋でひとり静かに苦悩するベジャールの顔。新しい舞台を生み出すアーティストたちのストイックかつ情熱的な姿がそこにはある。

クラシックの楽曲にとどまらず、これまでも民族音楽からクィーンなどのロックまで、幅広い音楽を作品に使用してきたベジャール。そして、「リュミエール」の音楽に彼が選んだのは、バッハと、ベジャールの友人でもある今は亡き2人の偉大なシャンソン歌手、バルバラとジャック・ブレルだった。ベジャールは、彼らの紡ぐ繊細な言葉にインスパイアされ、“光”のバレエを見い出していく。2人の歌声にのってダンサーたちが軽やかに舞う姿は、シンプルな愛の一幕を見るような幸福感をもたらす。バッハの音楽が醸す抽象的で崇高な光と、バルバラとブレルが歌いあげる日常の光。異質の光が融合する奇跡の瞬間を、映画は巧みにすくい取っている。




この映画は、ベジャールの振り付け、舞台製作の過程を記録したドキュメンタリー映画だった。
一番すごいと思ったのが、
ベジャールのダンスを創造する過程。
ベジャールは自身は創造者ではなく、ダンサーたちが羽ばたくのを助ける存在だという。
ダンサーたち自身を見てから、テーマ、音楽と共にそのダンスの振り付けを即興的に考えていく。
その振り付けは最後まで変化していく。
だから、ベジャールは自身の振り付けをドキュメンタリーだという。


ものを作るときに、つくりながら仕上げていくという方法論がおもしろい。





2010年5月16日日曜日

映画『チャーリーとチョコレート工場』


2005年製作のアメリカ映画である。ティム・バートン監督。ファンタジー・コメディ。
ロアルド・ダールの児童文学小説『チョコレート工場の秘密』(原題は映画と同じ)が原作。
同作品の映画化は1971年製作の『夢のチョコレート工場』(メル・スチュワート監督)に次いで2度目。


出演者 フレディ・ハイモア
ジョニー・デップ


2010年5月15日土曜日

映画『WONDER UNDER WATER』

2002年ドイツ
監督:レニ・リーフェンシュタール

レニが70歳を過ぎてからスキューバ・ダイビングのライセンスを取得。2000回におよぶダイブでカメラにおさめた膨大な映像から、1年余りの時間をかけて編集したのがこの作品。


ベルタ・ヘレーネ・“レニ”・アマーリエ・リーフェンシュタール
(Berta Helene "Leni" Amalie Riefenstahl、1902年8月22日 - 2003年9月8日)
ドイツのベルリン生まれの舞踏家、女優、映画監督、写真家、世界最年長のスクーバダイバーである。
様々な映画、写真集などを残したが、中でも有名なのが、写真集『ヌバ』である。
1962年、アフリカ・スーダンのヌバ族に出会い10年間の取材を続け1973年に10カ国でその写真集『ヌバ』を出版、アーティストとしてセンセーショナルな再起を遂げる。


70歳の時に、50歳?と偽り、ライセンスを撮って、そのライセンス受領の際に本当の年齢を発表したという、大物。

2000回以上も海に潜ったというのがすごい。


さらに、この映画では、サメやウツボ、ウミヘビなどの
怖い生き物が出てくるが、
レニはそれに恐怖ではなく興味をもって撮影をしている。

なんということだ!!


初めて海で、ウツボにであってしまった時、
ウミヘビがスルルとわきを通った時、
ヒヤヒヤして、もう海は怖すぎる!と思った。


しかし、彼等は悪さをしないじゃないかという
堂々たる態度で、撮影をしていたレニは
さすが、ナチスやアフリカのヌバ族を撮っただけあって
勇者である。


それにしても、海の中の熱帯魚たちは、
美しかった。
レニの撮る映像は、原色が豊かで、
はっきりしている。
色々な生き物がこんなにおしゃれな柄なんだ!!
って驚いた。


そういうわけで、この映画は色んな発見があって面白かった。


デザイン、芸術のもとになるのは、自然界なのでは???
と本当に思う。





2010年5月14日金曜日

映画『彼女たちの舞台』

1988年フランス、スイス

ジャック・リヴェット(Jacques Rivette、1928年3月1日 - )
フランスの映画監督、脚本家、映画批評家、雑誌編集者である。『カイエ・デュ・シネマ』誌元編集長であり、ヌーヴェルヴァーグの中心的人物である。



この映画は、156 分という長編であった。
舞台俳優を目指す学校で演技を勉強している女の子たちが登場するが、
初めのシーンは、クラスに入るなり、いきなり芝居が始まり、
それが舞台だということが分からないように舞台が写らないように撮影されているから、
劇中の芝居なのか、映画の台詞なのか混合する場面があった。


劇のレッスンの最中に、芝居が
何故か、彼女たちの今の気持ちを表しているような台詞でかぶっていて
それが見せるポイントの1つだったように思う。


それにしても、フランス映画ってグダグダしているものが多い。
人生をこねくり回して、
あぁでもない、こぉでもない
って、それがほんの一瞬とかじゃなくて
永遠と3時間くらい言っているかんじ。


そういう国民なの?
と思ってしまうくらいそういうのが多い。


その言い方が違うとか、
論理的には、、、とか。


全然理解できないが、
なんかおしゃべりが好きなのかなって思っておけば
いいのだろう。


本当に変。


むしろ、あぁでもない、こぉでもない
ってやっているだけなら、ロケもほとんどいらないんじゃないかってくらい。


しかも、常に喧嘩ごしで、根暗なものが多い。

自己の内面を描いているものが多いからか。。。?






2010年5月13日木曜日

映画『UFO少年アブドラジャン』

1992年ウズベキスタン
監督: ズリフィカール・ムサコフ
出演: ラジャブ・アダシェフ, シュフラト・カユモフ, ウラジーミル・メニショフ



この映画は、とても面白かった。

なにせ、あるところ本格的で、あるところ隙だらけの、、、
楽しすぎて、作り手の心臓のバクバクする音が聴こえそうな
迫力ある映画だった。


ハリウッドのような仕上がり感が完璧なものとちがって、
くすっと笑える部分が沢山残されていて
すごく好きだった。


とくにズームの使い方がすごい。
とにかく、ズームがあんなに多用されている映画は初めて見た。


しかも、いたって役者の演技は素晴らしく
迫真の演技そのものだった。


みんなが、このストーリー、映画に真面目に取り組んでいて、
それがすごく変な感じで
面白かった。



なんか、不思議だった。


あの無茶な感じ、役者、作者の真面目な感じが最高だった。






2010年5月12日水曜日

映画『カルパテ城の謎』

1981年チェコスロバキア映画
監督:オルドリッチ・リプスキー


オルドリッチ・リプスキー
(チェコ語:オルドジフ・リプスキー、Oldřich Lipský, 1924年7月4日 - 1986年10月19日)
チェコ・ボヘミア南東部出身の映画監督。生涯を通して風刺と笑いを交えた作品を作り続けたコメディ映画の巨匠である。



ここまで、大胆に物語が崩壊しているという映画はみたことがない!
だからこそ、この監督は巨匠なのか?
そこまでして、あの終わりなのか?!


あまりにあっさりしていて、逆にすごい。


、、、なんだそれという映画。



しかし、チェコはアニメーションが有名なように
素晴らしい、美術、セット。

その美的な感じは、まるで
くるみとかナッツのような
かんじで。。。


香ばしいかんじのセットだった。


チェコのコメディーって。。。
ちょっとはまるかも。





2010年5月11日火曜日

映画『エターナル・サンシャイン』

2004年公開 アメリカ映画

監督:ミシェル・ゴンドリー
脚本:チャーリー・カウフマン
ミシェル・ゴンドリー
ピエール・ビスマス
出演者:ジム・キャリー
ケイト・ウィンスレット


ミシェル・ゴンドリー(Michel Gondry、1963年5月8日 - )
フランスの映画監督・脚本家・映像作家。ヴェルサイユ出身。


映画
La Lettre (1998、短篇)
ヒューマン・ネイチュア Human Nature (2001)
エターナル・サンシャイン Eternal Sunshine of the Spotless Mind (2004)
ブロックパーティー Dave Chapell's Block Party (2004、ドキュメンタリー)
恋愛睡眠のすすめ The Science of Sleep (仏題 La Science des rêves ) (2006)
僕らのミライへ逆回転 Be Kind Rewind (2008)
TOKYO! Tokyo! (2008、オムニバス(「インテリア・デザイン」 Interior Design を担当))


この映画、とても好き!!!!
なんか、始めみて、全然よく分かんなかったけど、
すんごい良かった!
脚本が凄かった。
見ているほうも、色んなことを考えて
「あの時のはこれ?こうなっているから、、、さっきのは、、、!」
という感じで、
100%押し付けるのではなく
50%の情報受容に対し、
50%の積極性がないと話が読めず、
目が離せなかった。

ただの恋愛映画じゃなかった。

観客参加型の
快活なテンポで進む
素晴らしい映画だった!
ミシェル・ゴンドリーすごい!!!!
















2010年5月10日月曜日

映画『EL SUR』

製作年 1983年
製作国 スペイン=仏
原題:EL SUR
監督:ヴィクトル・エリセ


ビクトル・エリセ(Víctor Erice, 1940年6月30日 - )
スペイン出身の映画監督・脚本家である。本名、Victor Erice Aras。
映画学校で学びながら、映画雑誌に批評や評論などを書いて生計を立てていた。1964年、兵役についていたのち、溝口健二の『山椒大夫』を見て大きな感銘を受け、除隊後は映画一筋に生きる道を決意する。その際、「人生を凌駕する、人生を越える映画が存在する」と悟った。68 年、オムニバス映画『対決(Los Desafios)』の一編で監督デビュー。卓抜な演出と映画への飛びぬけた感性で一躍名を知らしめた、73年の『ミツバチのささやき』が、同年サン・セバスティアン国際映画祭でグランプリ。
第二作長編『エル・スール』でも高い評価を受け、第三作長編『マルメロの陽光』で、カンヌ国際映画祭審査員賞、国際批評家連盟賞受賞。10年に1本しか撮らない(もしくは撮れない)、大変寡作な監督として知られているが、これまでの作品はすべて非常に高い評価を得ている。
最新作の『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』は、数人の監督がそれぞれ10分の短編を集めたオムニバス映画である。
幼少からジョン・フォードのファンである事でも知られる。
2006年、マドリードでアッバス・キアロスタミ監督との映像による往復書簡を展示。


この作家の絵づくりはとても凄かった。
西洋絵画のようだった。
時間の経過を表してるのがとても良かった。





2010年5月9日日曜日

映画『黒猫白猫』






1998年/ユーゴスラヴィア/130分

監督:エミール・クストリッツァ
脚本:ゴルダン・ミヒッチ
出演:フロリアン・アイディーニ、ブランカ・カティチ、スルジャン・トドロヴィッチ






エミール・クストリッツァ(Emir Kusturica、セルビア語: Емир Кустурица、1954年11月24日 - )
旧ユーゴスラビアのサラエヴォ(現ボスニア・ヘルツェゴビナ領)出身の映画監督、音楽家、俳優。クストリッツァ自身はサライェヴォ出身だが、父はセルビア人、母はモスレム人であり、自身はユーゴスラビア人であると称している。カンヌ映画祭の最高賞であるパルム・ドールを2度受賞し、世界三大映画祭すべてで監督賞に輝いている稀有な映画監督である。






最近、コメディってすごい。
ユーゴスタビアってどんな国?と思い、
この映画を見てみた。


なんだか、ユーゴスラビアのユーモア?なのか
それが全然分からず、ついて行けなかった。


いわゆるアクション映画のようなタッチではなく
地元の人たちも出演させているから
ユーゴスラビアの社会を垣間見せるような要素があったはずであるが、
ばか騒ぎをしまくって
理不尽な行動、言動で映画全体が構成されていて
気分がとても悪くなった。


国、地域、家族といったいろんな階層の社会の様子
問題が映画に詰め込まれているのだと思うけれど。


とにかく、いろんな人間の嫌な部分を
ドタバタ劇で解消し、
笑えばいいじゃんという、
表層的な、あきらめのまじった人生観理というのを
その事実をパッケージしたようだ。




アフリカとか、とにかく占領されている地域とか
「あきらめ」
を、大人たちが学んできているから
社会が変でもそのまま進行してしまう
という現象があるという。




でも、あの世界を見てしまうと、
あきらめを学ぶ気持ちが分かってしまう。


あそこで描かれていた社会がすごく嫌いだけれど、
世界には、きっとあのような社会がけっこうあるのかもしれない。




でも、この監督のユーモアとか理解できないから、
他の映画も見てみようと思う。





2010年5月8日土曜日

映画『羅生門』

1950年8月日本
監督:黒沢明
製作:箕浦甚吾
脚本:黒澤明/橋本忍
出演者 :三船敏郎/森雅之/京マチ子/志村喬


原作は芥川龍之介の短編小説『藪の中』だが、同作者の短編小説『羅生門』からも題材を借りている。


この映画は、ある事件の日の様子を、3人+1人(死んだものの声を再現する人)が回想し、
3人の話すことがまったく違い、真実は何なのか分からない様子を描いていた。

構成としては、現在あの日の様子を語る姿と、
過去である回想シーンが織り交ぜられていた。

なので、誰が本当に正しいことを行っているのかが分からず、
そこが面白かった。


回想シーンを全て演じているのも凄かった。

2010年5月7日金曜日

映画『Play Time』







1967年フランス
監督/脚本/出演:ジャック・タチ

■ジャック・タチ(Jacques Tati、1907年10月9日-1982年11月5日)
フランスの映画監督・俳優。本名はジャック・タチシェフ(Jacques Tatischeff)。パリ郊外のル・ベック生まれ。父はロシア人、母はオランダ人。
若い頃からパントマイムの道を志し、得意だったスポーツをネタにした芸でならす。1933年からミュージックホールの舞台に立ち、シドニー=ガブリエル・コレットから激賞を受けるなど人気を博した。1932年から映画の仕事も始めたが、最初に話題になったのは、ルネ・クレマンが監督し、タチは脚本と主演を担当した『左側に気をつけろ』Soigne ton gauche(1936年)という短編映画。ここでもお得意のボクシングの芸を披露している。クロード・オータン=ララの『乙女の星』Sylvie et le fantôme(1945年)と『肉体の悪魔』Le Diable au corps(1947年)に出演した後、1947年に短編映画『郵便配達の学校』 L'École des facteursを初監督する(脚本・主演も)。ここで登場した郵便配達人フランソワは次の作品に生かされることになる。


■Play Time
長編第4作は、大作『プレイタイム』Playtime(1967 年)。タチは私財をなげうって、ほぼ10年がかりで、この超大作を作り上げた。近未来のパリということで、高層ビルが林立する一つの都市をつくりあげてしまった。この作品では、ほとんどプロットというのが無く、ユロ氏と一団のアメリカ人観光客がこの街を彷徨う中、その中からフランスの古き良き伝統を発見するというコメディ映画である。当時フランス映画史上最大の製作費をかけ、しかも高画質にするため70mm磁気6チャンネルのフォーマットを使って壮大な世界を作り上げた。『プレイタイム』のオリジナルは155分の長尺であったが、彼自身の手で126分まで短縮され、しかも経理上の問題から、次々と短縮され、米国での公開ヴァージョンでは93分モノラルまでカットされ公開された。公開当時は一部の批評家には絶賛されたが、多くのマスコミから酷評を受け、興行的にも惨敗であり、その失敗は一生彼にまとわりついた。その後2002年になってようやく、カンヌ国際映画祭の歿後20周年記念上映で126分70mmヴァージョンが復元された。

『プレイタイム』製作中に資金難に陥り、製作が一時止まったとき、短編『ぼくの伯父さんの授業』Cours du soir(1967年)が撮られる。これは、ユロ氏が彼のコメディを出来の悪そうなコメディアンに伝授するという内容であった。この中には郵便配達人フランソワの姿も見られ懐かしい。

タチは彼の作品の登場人物一人一人の動きをまるでバレーの振付師のように実演して見せたという(女性だったら女装してまで!)。画面構成も俳優の動きまであくまで完全主義であったのである。


■感想
映画の音づくりが凄いという紹介で、この映画を見た。
そしたら、この映画は、本当に凄かった。
音響が面白い。
特に、このシーンが忘れられない。


あそこにいる。ここにいる。

探している人と探されている人がすれ違うのだが、
電話をしに個室に入ったり、アナウンスが邪魔したりして
音によって、観客の視点を誘導している。

鏡越しのシーンでも、
外の音が聴こえたら、ガラスがあって、見ている人は外にいるんだなとか
色んな発見があった。



すばらしい映画。






2010年5月6日木曜日

映画『アタック・ナンバーハーフ』

2000年3月タイ

監督:ヨンユット・トンコントーン

タイで実在したLGBTのバレーボールチーム “サトリーレック”(=鋼鉄の淑女)が、差別や偏見を乗り越えて大会に勝利するまでを描く実話。


タイという国が本当に、すごいと思った。
お話がすごい。
化粧をすると、一気にチームが強くなって
2セット先にとられていたのに、逆転勝利をおさめたりする。
この映画が実話に基づいているということで
本当にビックリした!!

あと、チームのおかま役の俳優さんは、
みんな、おかまかと映画を見終えるまで思っていた。
キャストの紹介を見て、初めて事実に気がつき
すごい演技力だったなと思う。

2010年5月5日水曜日

映画『パパは、出張中!』

1985年 ユーゴスラビア
監督:エミール・クストリッツァ

50年代初頭のユーゴスラヴィアを舞台に、時代の波に翻弄される一家の姿を6歳の少年の視点でユーモラスに描くE・クストリッツァ監督のカンヌ映画祭パルム・ドール受賞作!
密告の横行する監視社会と体制への痛烈な批判を乾いたユーモアとペーソスで包み込んで描いた秀作で、主人公の少年が夢遊病だという設定も巧み。名曲『ドナウ河のさざなみ』も印象的に使われている。


やはり、この人のユーモアが全然分からなかった。

2010年5月4日火曜日

映画『Human Nature』

2001年の映画 アメリカ合衆国・フランス合作


監督 ミシェル・ゴンドリー
製作 スパイク・ジョーンズ
アンソニー・ブレグマン
テッド・ホープ
チャーリー・カウフマン
脚本 チャーリー・カウフマン


特撮などの解説つきの特典映像が面白かった。



スパイク・ジョーンズの有名な動画

2010年5月3日月曜日

映画『The Knack ...and How to Get It』

1965年のイギリス映画

監督 リチャード・レスター
製作 オスカー・レヴェンスティン
脚本 チャールズ・ウッド
編集 アントニー・ギブス


キャスト

マイケル・クロフォード:コリン
リタ・トゥシンハム:ジャンシー・ジョーンズ
ドネル・ドネリー:トム
レイ・ブルックス:トレン




この映画はすごい!!
カメラ、編集、脚本、、、見所満載!

2010年5月2日日曜日

映画『イゴールの約束』

(1996年/93分/ベルギー=フランス= ルクセンブルグ=チュニジア/カラー/ヴィスタ)

監督・脚本:リュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ(Jean-Pierre Dardenne)
1996年カンヌ国際映画祭監督週間 国際芸術映画評論連盟賞
1997年度全米批評家協会 外国語映画賞
1997年度ロサンゼルス批評家協会 外国語映画賞


すばらしい映画!!
主人公の少年の父親と自分の理性との間で生じる葛藤が鮮明に描き出されている。
世界中で抱える問題を提起している。

2010年5月1日土曜日

映画『Snow White』

2002年 USA
監督: Caroline Thompson
出演: Miranda Richardson, Kristin Kreuk, Karin Konoval, Tom Irwin, Vera Farmiga


Kristin Kreukがあまりにきれいすぎた映画。
内容も忘れてしまうほどに