2010年4月20日火曜日

展示『古屋誠一 メモワール.「愛の復、共に離れて…」』

先日、写真美術館での展示会『古屋誠一 メモワール.「愛の復、共に離れて…」』を見に行ってきた。

この写真の展示会は、見ていて、
型にはなることなく
風のようにふわっとしていながら
誰か、カメラマンの古屋とその妻の生き様
気持ちが一本の線のようになっていると感じた。


まっすぐな線ではなく、ラフに描いた線のように。



どうやら、写真を撮る時、かれは
テーマを決めて撮るのではなく、
後からテーマを考えるようだ。
ーーーーーーーーーーーーーーー
多 くの写真家や写真を使って表現を志す人たちは、まず何を撮りたいのか、表現したいのかなどとテーマを決めてから撮影を始めますが、僕の場合は少し違ってい ると思います。1989年以来「メモワール」というタイトルの個展や作品集を発表し続けてきて、この春、多分その最後となる5冊目の写真集を出版します。 つまりメモワールという言葉が内に含みもつ世界が僕のこれまでの写真表現の原点にあったのは確かですが、このタイトルが先にあったのではないということで す。1985年に妻の自死という「事件」を体験してから4年後、初めて個展という形で写真を発表する機会を得たときに色々と思案したあげく最終的に「メモ ワール」という言葉に辿りつきました。
今振り返ってみると、時の経過とともにその「事実」と正面から向き合わなければならない状況に追いこまれた のだと思います。僕がもう一人の僕、自己を相手に問答を始めるために手元に残った写真やその他の記録をまず見ることから始めました。それから25 年、時間と空間を超えて生きのびつづける記憶を、その度ごとに「現在」へと呼び戻しては蘇生させ編み直してきたわけですが、回を重ねていくうちにいつしか シリーズという言葉が使われるようになりました。まず写真や経験などが先に在ったということで、シリーズやタイトルのために写真が撮られたということでは ありません。
ーーーーーーーーーーーーーーー


この展示会では、
古屋の体験を追体験するような気さえした。

0 件のコメント:

コメントを投稿